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憲法コラム

第142回(1月15日):照屋寛徳 議員

ウチナーンチュの自己決定権確立と日本国憲法

【写真】2014年1月12日、筆者も応援にかけつけた名護市長選、稲嶺ススム候補の出発式(左=1月13日付沖縄タイムス、右=同琉球新報)

ウチナーンチュの自己決定権確立と日本国憲法

 最近、沖縄(人)の自己決定権に関する議論が活発に展開されている。例えば、2014年1月3日付の琉球新報社説は、「沖縄の戦後史ほど、意思的に民主主義を獲得し、自力で尊厳を回復してきた歴史は、世界的に見てもそうない。」と書き出す。

 そのうえで、同社説は、「民意の力で尊厳回復を」「国連で不当性訴えよう」との見出しを付し、米軍普天間飛行場の辺野古移設と関連して「日米両政府が沖縄に差別と犠牲を強いる姿勢を変えようとしないから、政府任せで打開はあり得ない。解決策は沖縄の自己決定権回復しかない。」と論を結んでいる。

 琉球新報は、前記2014年1月3日社説以外にも、沖縄への「構造的差別」などを語る上で近年、「自己決定権」という概念が注目されている、として2014年1月1日付で大型特集記事を掲載している。

 私が知る限り、沖縄で最も早くウチナーンチュの自己決定権について論陣を張り、発信したのは、島袋純琉大教授(政治学)のような気がする。島袋教授は、スコットランドの分権改革の研究を通し、「基地問題も人権侵害と捉え、自分たちに基本的人権があり、それを守る自己決定権があると宣言し、回復を求めることが必要だ」と従来から主張する。

 さて、自己決定権とはいかなる概念だろうか。政治学的に自己決定権について特別な研究をしていないので、微に入り細を穿った議論は避けたい。その学術的論稿がコラムの目的でもない。

 自己決定権とは、「自らの生命や生活に関して、権力や社会の圧力を受けることなく、本人自身が決定できる権利」と捉えることにする。

 前記琉球新報の特集記事も、自己決定権を「経済や社会、文化的つながりを持つ地域・人々が、政治体制をはじめ経済、文化的な事柄を自由に決定できる権利」と書き記(しる)している。

 日本国憲法は、自己決定権を明文では規定していない。だが、多くの学説は、自己決定権は日本国憲法の解釈によって認められる、との立場だ。自己決定権を憲法解釈から導き出そうとすれば、その根拠条文は憲法第13条だと思う。

 憲法第13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定めている。

 護憲派の弁護士伊藤真氏は、その著書『憲法問題――なぜいま改憲なのか――』の中で、憲法第13条について、次のように述べている。

 「個人の尊重は、立憲主義に基づく憲法の根底にある大事な考え方です。近代市民革命そして近代立憲主義憲法の誕生は、この個人の尊重のためにあったといっても過言ではありません。」

 「憲法13条でうたわれている個人の尊重は、もともと全体主義や国家主義に反対して、一人ひとりが大切にされる社会を目指そうという発想から生まれています。」――と。

 1966年第21回国連総会で採択された国際人権規約第1条が謳う「すべての人民は自決の権利を有する」との考えも、自己決定権の根拠になりうるものと考えている。

 ところで、ウチナーンチュの自己決定権と日本国憲法を考える上で、最近注目されているのが、1962年2月1日の琉球立法院の施政権返還に関する決議(以下、単に「2・1琉球立法院決議」という)である。言わずとも知れたる琉球立法院とは、現在の沖縄県議会である。

 2・1琉球立法院決議とは、決議文標題が「施政権返還に関する要請決議」となっており、同日付で三本の決議が全会一致で採択されている。一本目の決議は、内閣総理大臣と衆参議長宛。二本目は、アメリカ合衆国大統領と上下両院議長宛。三本目が、国連加盟国宛(当時104ヵ国)である。

 決議文の一部(本旨)のみを紹介する。

 「対日平和条約第三条によって沖縄を日本から分離することは、正義と平和の精神にもとり、将来に禍根を残し、日本の独立を侵し、国連憲章の規定に反する不当なものである。」

 「アメリカ合衆国による沖縄統治は、領土の不拡大及び民族自決の方向に反し、国連憲章の信託統治の条件に該当せず、国連加盟国たる日本の主権平等を無視し、統治の実態もまた国連憲章の統治に関する原則に反するものである。」

 「1960年12月第15回国連総会において『あらゆる形の植民地主義を速かに、かつ、無条件に終止させることの必要を厳かに宣言する』旨の『植民地諸国,諸人民に対する独立許容に関する宣言』が採択された今日、日本領土内で住民の意志に反して不当な支配がなされていることに対し、国連加盟国諸国が注意を喚起されることを要望し、沖縄に対する日本の主権が速かに完全に回復されるよう尽力されんことを強く要請する。」

 発議者4人を代表して、翁長助静議員(現翁長雄志那覇市長の父)が、「本件の趣旨は、米国の沖縄統治は民族自決の方向に反し、国連憲章の大精神にもとっているとの見解に立った」等と提案理由を説明している。

 三本の決議採択を受けて、翌日には日本政府見解が発表された。政府見解は、次の通りだ。

 「植民地とは独立を達成してない地域のことでその住民が外国による征服支配下および搾取の下におかれているものをいう」

 「沖縄は日本の固有領土で日本は潜在主権を有し施政権を有する米国に返還を要求している」

 「したがって沖縄は他日日本に復帰することを期待される地域で植民地独立宣言にいう『独立を達成しない地域』に該当するものではない」――と。

 今年は、本土「復帰」から42年目である。復帰後も「反憲法」下に置かれている沖縄の日常は、今だに2・1琉球立法院決議が指弾した、日米両政府の軍事植民地に等しい。だが、ウチナーンチュは諦めずに闘う。自らの尊厳回復と自己決定権確立を目指して闘い続ける。

(2014年1月15日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)


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