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【佐高信の“眼”】渥美清と寅さん

カテゴリー:社会新報 投稿日:2020-02-14

寅さんこと渥美清は1928年生まれだった。土井たか子と同い年である。ちなみに、この年の生まれには池田大作、チェ・ゲバラ、手塚治虫、田辺聖子、そして土井ファンだった浜田幸一がいる。

『男はつらいよ』のフーテンの寅シリーズで、私が一番好きなのはキャバレーまわりの歌手として浅丘ルリ子扮(ふん)するリリーが登場する『寅次郎相合い傘』。突然蒸発したサラリーマンが北海道で寅やリリーと一緒に旅をすることになる。心配していた留守宅に連絡があって、その夫人が寅の叔父さんがやっている柴又のだんご屋に訪ねて来た。お礼にメロンを持ってである。

ところが寅はテキヤだから、居場所がわからない。焦れた夫人が、まったく頭になくて、

「まさか、道端で物を売ってるわけじゃないんでしょう」

と尋ねるが、まさにその「まさか」なのだった。

この前段があってメロン事件が起こる。寅が出かけた時に、リリーを含めてメロンを食べようという話になり、そこにいる人数で分けたのだが、寅のことを忘れてしまった。そこへ、寅が帰って来て、一騒動である。

しつこくからむ寅に叔父さんが怒り、おカネをたたきつけて、一個丸かじりせいと言う。

忘れられない場面なのだが、渥美清がどこかで語っているのを読んで、私はちょっとうなってしまった。

渥美は観客の反応を見るため、わからないようにして幾つかの映画館をまわるらしい。『寅次郎相合い傘』の時もそうだった。それでメロン事件について、銀座と浅草の観客では反応が違うことに気がついた。

銀座の客は、寅の子どもっぽさ、みみっちさに大笑いする。

ところが、浅草の客は笑わないのである。寅を勘定に入れないのはケシカランということなのだろう。

『朝日新聞』記者だった早野透と私は『寅さんの世間学入門』(ベストブック)を出したが、渥美が最期まで演(や)りたかったのが、落魄(らくはく)の俳人、尾崎放哉の役だった。早坂暁が脚本を完成させたのに、寸前になって渥美が降りた。寅のイメージが強すぎて笑われてしまうのではないかと思ってだという。

1885年、鳥取に生まれ、旧制一高から東京帝国大学法科を出て東洋生命に入社しながら、酒乱ゆえにサラリーマン生活を棒に振り、最後は小豆島の小さな庵の堂守となって42年の生涯を閉じた尾崎秀雄こと尾崎放哉には

咳(せき)をしても一人
死にもしないで風邪ひいてゐる
何がたのしみで生きてゐるのかと問はれて居る
といった壮絶な句がある。
渥美自身も、風天という俳号で句をつくったが、
ゆうべの台風どこにいたちょうちょ
貸しぶとん運ぶ踊り子悲しい
などの句には、やはり、放哉の影がさしている。

渥美は1996年に亡くなった。私との共著の「はじめに」で早野は『男はつらいよ』に「疲れた心を癒してもらった」と書き、「寅さんといっしょに、マドンナに次々と恋をした。佐高は浅丘ルリ子が好きみたい。早野は吉永小百合びいき」と続けている。

(社会新報2020年2月19日号より)