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晴れも曇りも雨風も

カテゴリー:社会新報 投稿日:2020-02-05

佐高信の視点

「あけましておめでとうございます」とは言いたくない世の中だからと、賀状をやめて20年近くになる。

それでも届く賀状には、清水比庵の「わが窓の晴れも曇りも雨風もまた一年のはじめなりける」という歌を引いて返した。

この歌は書家の父がよく書く比庵の歌集をのぞいて知った。

賀状に俳句や短歌を
引き気持ちを伝える

かつては賀状に句や歌を引くのを常とした。「年の夜やもの枯れやまぬ風の音」という渡辺水巴の句を引いたこともある。賀状にはふさわしくないかもしれないが、どうしてもそんな気持ちだったからである。

前田純孝の「いくとせの前の落葉の上にまた落葉かさなり落葉かさなる」という歌を引いたのはいつのことだったか? 啄木と並び称されたこの薄幸の歌人は早坂暁の『夢千代日記』で取り上げられて新たな光を浴びた。薄幸と言えば、満天下(というのはオーバーか)に恥をさらしたことがある。

ある年、「薄倖の字の美しき賀状かな」という句を引き、万太郎と書いた。伊藤肇という人物評論家がそう書いていたし、私も久保田万太郎らしい句だなと思って、疑いもしなかった。

ところが、これは万太郎の句ではなかったのである。友人に五十嵐播水という人の句だと知らされて、青くなった。まさに五十嵐さん、ゴメンナサイ。いや、万太郎さん、ゴメンナサイでもあるし、賀状を受け取った人すべてにおわびしなければならない。

「分別の四十に遠き三十九」という川柳を引いたこともある。当然、39の年で、あれから35年余り経った。それでも、分別にはまだまだ遠い。

「幾人か敵あるもよし鳥かぶと」という能村登四郎の句を見つけた時は、これだと思った。いま、これを引く気負いはない。勝手に改作すれば「幾人か味方あるもよし鳥かぶと」である。

賀状の交換で勝手に決めていたのは、社用の賀状でよこした人には、かなり親しくても返さないということだった。会社の誰々と私はつきあっているわけではなく、編集者でも個人とつきあっているのだと思っていたからである。

多分、最後の賀状に引いたのが藤沢周平の「故郷には母古雛を祭るらむ」だった。

国民的詩の七五調が
体制側を支えている

しかし、いずれにせよ、次のように指摘する詩人の金時鐘には叱られるに違いない。

「国民的詩と言われる俳句・短歌をやっている人たちは、美しいものだとか、これはいいと思っているものに関して共通して同じものを感じ取っている。その人たちが日本の詩の絶対的多数を占めているということは、政権与党の絶対多数と重なり合っているということです。いながらにして体制側なんですね」

七五調が自民党支配を支えているというこの批判は耳に痛いが、それを受けとめつつ、私は今度、『幹事長 二階俊博の暗闘』(河出書房新社)を出した。

反省などとは無縁の安倍晋三をはじめ、「桜を見る会」疑惑等にも居直りを繰り返す彼らに必殺のペンを振り下ろしたつもりだが、武器として読んでもらえば幸いである。

(社会新報2020年2月5日号より)