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石橋政嗣さん逝去

カテゴリー:党務 投稿日:2019-12-24

日本社会党第9代委員長

「安保5人男」の一人 非武装中立論で支持集め、社民主義路線の基礎築く

石橋政嗣

日本社会党の第9代委員長を歴任した石橋政嗣(いしばし・まさし)さんが9日、福岡市内で逝去した。享年95歳。

石橋さんは1924年、台湾に生まれた。敗戦後、基地の街・佐世保市に移り、全駐労佐世保支部委員長、佐世保地区労議長、県労評議長などを務め、護憲平和や労働運動を支えた。

51年に長崎県議に当選、55年に衆院旧長崎2区で初当選し、以後12回連続当選を果たした。安全保障政策の論客で、60年の日米安保条約改定時に、当時の岸信介首相を厳しく追及し、「安保5人男」の一人として名をはせた。

66年には持論の「非武装中立論」を展開し、80年に『非武装中立論』(社会党機関紙局刊)を出版し、30万部のベストセラーとなった。非武装中立論は、憲法9条の非武装の思想に基づき、自衛隊を徐々に縮小し、最終的には一切の武力を放棄して、米ソ冷戦構造下にあって中立の姿勢を守り抜くという考え方で、多くの国民から支持を得た。当時の中曽根康弘首相と非武装中立論をめぐり激論を交わした。

石橋さんは70年から成田知巳委員長の下で書記長を7年間務め、83年の飛鳥田一雄委員長の辞任を受けて同年から86年まで第9代の委員長を歴任した。

86年には欧州型社会民主主義への転換を目指す「愛と知と力による創造」=「日本社会党の新宣言」を採択した。この新宣言は、マルクス・レーニン主義的色彩の濃い綱領的文書「日本における社会主義への道」から脱皮する内容で、今日の社民党の社民主義路線の基礎を築いた。また自衛隊「違憲合法論」や文化立国論を提起したことも記憶されるところである。

しかし、86年、国鉄分割民営化を主張した中曽根首相による衆参同日選挙に敗れ、その責任を取って委員長を辞任し、土井たか子さんに委員長を引き継いだ。90年に政界引退した。

石橋さんは晩年、親族と福岡市で暮らし、数年前までは自宅のある佐世保市に毎年戻っていた。

社民党の又市征治党首は13日、コメントを公表し、「目の前の課題を巧みにこなし、まずは自分自身で動く現実的な政治家で、一度こうと決めたら変えない、筋を通す、信念に剛直な人でした。先に逝かれた中曽根元総理大臣と、また論戦をたたかわせていらっしゃるのでしょうか。故人をしのび、哀悼の誠をささげます」と故人をしのんだ。

(社会新報2019年12月25日号より)