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関西電力 原発マネーの闇を暴け 3

カテゴリー:社会新報 脱原発 投稿日:2019-11-20

「影の町長」の異名をもつ森山氏
高浜原発の誘致まとめる

関西電力の原発利権を支配した森山栄治元助役(今年3月に90歳で死去)の力の源泉はどこにあったのか、高浜原発の動きと共に概観してみよう。

森山氏の自宅はJR小浜線三松駅から約1・2㌔ほどの距離にある福井県大飯郡高浜町西三松地区の静かな住宅街にあった。310坪ほどの広い敷地を高さ約2㍍の塀が取り囲み、敷地内には平屋建ての立派な日本家屋と2階建てのコンクリートの建物。門には「森山」の表札があり、玄関近くに大きな松の木が立っていた。
町長に請われ転職

森山氏は1928年、福井県大飯郡高浜町に生まれた。49年に京都府職員となり、京都府綾部市職員を経て、69年に原発立地を進めていた当時の浜田倫三高浜町長に請われて高浜町職員に転職。民生課長、総括課長、企画課長として実力を発揮し、地元調整で辣腕(らつわん)を振るった。70年から72年まで部落解放同盟福井県連高浜支部書記長を務めた。75年10月から77年3月まで同町収入役となり、77年4月から87年5月まで町ナンバー2の助役を10年間務めた。

高浜町の助役を退職後は関電子会社・関電プラント、警備会社オーイング、その関連会社アイビックス、設備会社柳田産業、建設会社吉田開発など原発関連企業の顧問にも就いた。自治体幹部、県議会、国会議員などに幅広い人脈を有し、地元では「天皇」「影の町長」との異名も取った。

解放同盟が抗議

経歴の中で部落解放同盟の支部役員を2年間務めたことから、一部マスコミでは被差別部落問題と原発利権を意図的に結び付けようとするわい曲報道が見られたが、問題の本質を見誤っている。

部落解放同盟中央本部(組坂繁之・執行委員長)は10月7日、森山氏が関電に対する影響力を持った背景に「解放同盟の存在があった」とする報道やネットの書き込みが存在するとして、反論のコメントを発表している。この中で森山氏について「1972年に同盟福井県連書記長を退任し、同盟を離れ、同盟の影響力が全くない状況時に助役に上り詰め、町全体に大きな影響力を持つに至った」と説明した上で、「明らかにされなければならないのは、癒着ともとれる関係であり、資金の流れの透明化こそが、事件の本質だ」「人権団体にその責任をすり替えようとする悪意ある報道を許すことはできない」と批判している。

それでは森山氏をここまで実力者に押し上げた背景に何があったのか。

高浜町内に住む町議会関係者はこう解説した。「内藤(千百里〈ちもり〉副社長=故人)の後ろ盾があったからだ」。内藤千百里氏といえば関電の「中興の祖」ともいわれた芦原義重会長の懐刀で、政界担当のフィクサー役を演じ、72年から18年間、歴代首相に盆と暮れの2回、各1000万円ずつ手渡してきた、と朝日新聞(14年7月28日付)に告白している。

選挙でも力を発揮

さらに町議会関係者は続ける。「高浜では森山さんのことを畏敬の念を込めてイニシャルでM先生と呼んだ。本名で語ってはいけない存在。町長選にしろ町議選にしろ、M先生にあいさつに行かなければ当選はできない。町内でM先生の悪口を言おうものなら地元の事業から排除されてしまう」

森山の足跡と高浜原発事業の動き(年表参照)を並べてみると高浜原発と森山氏の歩みが符合してる。

高浜1号機の設置許可が出たのは1969年。同年に森山氏は浜田倫三町長から原発誘致・促進のために招へいされ高浜町職員となる。同町役場へ転じてから高浜原発の一連のプロジェクトが加速していった。高浜原発2号機の設置許可は70年。高浜1号機と2号機の運転開始が74年と75年。80年には3号機、4号機の設置許可が下り、いずれも84年に運転を開始した。

森山氏は町のナンバー2の助役であった10年間(77年~87年)に、地元地権者をまとめ、3号機・4号機を誘致し、立地者となった。関電にとって最大の功労者として君臨した。

(社会新報2019年11月20日号より)