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【佐高信の“眼”】 土井たか子のオーラの源

カテゴリー:社会新報 投稿日:2019-10-16

9月23日に神戸で開かれた「今こそ土井たか子さんの志と共に」という会で「よみがえる土井たか子 その人と思想」と題して講演した。

土井は1928年生まれだが、チェ・ゲバラ、渥美清、池田大作が同い年である。やはり同い年の暴れん坊、浜田幸一が土井びいきだったのは発見だった。

「女を党首にするほど社会党は落ちぶれていない」などとうそぶくアナクロの幹部もいる中で党首となった土井が国会で演説する姿もビデオで流されたが、自民席から激しいやじがとんでいた。

ハマコーはそれを必死に制止し、そのことが新聞にも取り上げられたという。

さっそうとした土井の放つオーラにハマコーも魅せられたのだろう。

土井の姉がわが師の久野収の教え子であり、私にとって土井は久野門下の姉弟子にも当たる。

土井の本筋の恩師は同志社大の憲法学者、田畑忍だった。田畑が代表委員を務めた憲法研究所が1965年に発行した『抵抗権』(法律文化社)という大部の本がある。当時、関西学院大の講師をしていた土井は30代で、憲法研究所の事務局を担当していた。

ラディカルな抵抗思想を田畑忍から継承

そして、土井多賀子名で「政治における信教の自由」という発表をしたり、「革命と平和革命について」という座談会に出席したりしている。

田畑の秘蔵っ子として土井は抵抗思想を受け継いでいるわけだが、田畑のそれは極めてラディカルであり、土井の「ダメなものはダメ」は田畑の頑固さにその源を発していると言ってもいい。

『抵抗権』の巻頭の「日本国憲法と抵抗権」で田畑は、次のように指摘する。

「人類のこれまでの歴史において未曽有というべき第九条の戦争・戦力放棄の永久平和主義の規定が、国家権力を大きく放棄することによって、右の如き政治的抵抗権の土台を強固にし、かつ抵抗権としての基本的人権一般を本格的なものに仕上げていることを率直に見直す必要がある。すなわちそれは、きわめて明らかに国民の強大なる戦争反対権または戦争拒否権を確立するものであって、アメリカ合衆国や西ドイツ等に認められている良心的戦争反対権の如き弱くかつ消極的な権利でないことは疑いがない」

良心的でなくとも兵役は拒否できるという意味で、私は良心的兵役拒否に賛成ではなかったが、すでに田畑はそう言っていたわけである。

神戸新聞論説副委員長の勝沼直子は10月2日付の同紙「日々小論」で、私が土井を「革新性と保守性、寛容さと頑固さを併せ持つ『含羞(がんしゅう)の人』と評した」と書いてくれている。まさに、わが意を得たりだが、私たちはなつかしさに浸るのではなく、土井の好んだロバート・フロストの詩を口ずさみながら、困難であっても前へ進まなければならない。

森は美しく、暗くて深い。/だが私には約束の仕事がある。眠るまでにはまだ幾マイルか行かねばならぬ。

(社会新報2019年10月16日号より)