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原水禁 世界大会

カテゴリー:外交安保 投稿日:2019-08-09

日本は米国の核の傘から脱し 核禁条約まず批准しリードを

原水禁 世界大会

「核も戦争もない平和な21世紀に!」――。被爆74周年原水爆禁止世界大会(主催・同実行委員会)の広島大会が4日から6日まで広島市内で開かれた。初日の4日、平和公園を出発した「折り鶴平和行進」の後、広島大会の開会総会が行なわれた。

4日の広島大会開会総会には約1900人が参加。原爆や核被害で亡くなった人々に黙とうを捧げた後、川野浩一大会実行委員長(原水禁議長)があいさつの中で「世界の核兵器の数は今年1月時点で1万3866個。6万発とも7万発とも言われた冷戦時代と比較すると随分と減ったが、核廃絶に向けた動きが止まろうとしている」と危機感を表明した。

核保有国は核不拡散条約の第6条に定められた核軍縮の誠実交渉義務を履行せず、米国を筆頭に核兵器の近代化の動きが進んでいる。また、米露間のINF(中距離核戦力)全廃条約の失効、2021年に期限を迎える新戦略兵器削減条約(新START)の停滞・延長交渉の難航、来年に控えたNPT(核不拡散条約)再検討会議に向けた最終準備委員会が勧告をまとめることができなかったことなど、先行きの不透明さが増している。

批准いまだに25ヵ国

17年に国連で採択され、50ヵ国目の批准後90日で発効される「核兵器禁止条約」は、8月8日時点で、署名40ヵ国、批准25ヵ国となっている。いまだ不参加の姿勢を貫く日本政府の対応について川野実行委員長は、「賛同しなかった国々を説得し、核廃絶の先頭に立つのが、わが国の役目のはず。米国の核の傘から脱却し、核のない世界の実現に向けて努力すべき」と訴えた。

また、原発再稼働、県民の健康を無視した強引な帰還政策を続ける政府を批判し、「核兵器、原発、憲法、沖縄、福島と、課題が山積している。すべての闘いに頑張る。それ以外に私たち人類が生き残るすべはありません」と締めくくった。

広島市の松井一實市長は大会に寄せたメッセージ(市民局長代読)で、川野実行委員長同様、核兵器廃絶に向けた動向が世界的に停滞していることに懸念を示し、「核兵器のない世界こそが世界恒久平和の第一歩であるということを世界共通の価値観としていくことがますます重要になっている」と述べ、世界163ヵ国・約7800の平和首長会議の加盟都市と共に、世界の為政者に核兵器廃絶に向けた行動を後押しする環境づくりに取り組む決意をあらためて示した。

海外ゲストを代表して、米国「ピースアクション」のスージー・アリソン・リットンさんがあいさつした。「戦争と核兵器の驚異は他のことと無関係に存在しているのではない。世界中で民主主義の制度が不安定になり、専制的な政府が生まれているが、引き続き政府に対し、核兵器の増強ではなく、人々の必要を満たすこと、気候変動への取り組み、軍事力ではなく外交での解決を求めていこう」と呼びかけた。

被爆者の願い届けて

被爆者からの訴えで、爆心地から2・5㌔の自宅付近で被爆した、今年82歳になる高品健二さん(広島被団協・被爆を語り継ぐ会)が証言。自宅付近で一緒に遊んでいた友だちは体中にガラス片が突き刺さり、自宅にいた母親は柱の下敷きになっていた。親族の助けを借り、一時的な避難所になっていた公園で数日を過ごしたが、友だちも母も相次いで亡くなった。孤児になった高品さんは中学を卒業するまで叔父の家に身を寄せるが、「つらい生活だった」という。被爆者への差別と偏見が高品さんを苦しめた。最後に、「核の被害を受けるのは私たちで終わりにしたい。いつの日か核兵器を使う戦争をなくせるよう、私たちの願いを聞き届けてほしい」と訴えた。

続いて、第22代高校生平和大使を代表して牟田悠一郎さんがスピーチ。小学6年で祖父の被爆経験を初めて聞き、歴史上の出来事が急に身近なことに感じ、心から、戦争や核兵器が怖いと感じたという。「全国の高校生とともに、平和をつかんだ時に二度と手放さないように、当時のことを学び、伝え続けていきたい」と決意表明した。

閉会あいさつで金子哲夫さん(広島県原水禁代表委員)は「原水爆が禁止されてこそ、真に被害者を救うことができる。原水禁運動の原点は、広島、長崎の被爆の実相です。世界大会を通じ、核の被害の実相を胸に刻んでほしい」と呼びかけた。

(社会新報2019年8月21日号より)