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憲法コラム

第85回(6月24日):照屋寛徳 議員

悲惨な沖縄戦と憲法第9条

照屋寛徳

 6月23日は、20万余の尊い命が失われた悲惨な沖縄戦終結から68年目であった。

 沖縄戦の実相を表す言葉に、「鉄の暴風」がある。1945年3月26日に始まった沖縄戦では、日米双方から多量の銃弾・砲弾が無差別に撃ち込まれ、地形が変わる程の激しい艦砲射撃や空襲の「鉄の暴風」が県民を襲い、ウチナーンチュ4人に1人が死に追いやられた。

 「鉄の暴風」以外にも沖縄戦の実相を語る言葉は多い。いわく、「軍民混在の戦場」「国内唯一の地上戦」「集団自決(強制集団死)」「軍民共生共死」「軍隊は住民の命を守らない」などである。当然ながら、悲惨な沖縄戦の実相は、68年経過した今日においても、語り尽くす事は不可能だ。いや、永遠に……。

 さて、悲惨な沖縄戦をくぐり抜け、生きのびた先輩方の多くは、旧日本軍を「皇軍」(天皇の軍隊)と呼ぶ。そのうえで、「皇軍」は、住民を避難する壕から追い出して自分達が隠れた、方言(島くとぅば)を使用する住民を、アメリカのスパイ視して虐殺した、多くの住民に「集団自決」を強制した、などと証言する。文字通り「旧日本軍=皇軍は住民の命を守らなかった」のだ。

 少年兵の体験を持つ作家城山三郎氏は、生前「戦争で得たものは憲法だけだ」と喝破した。その日本国憲法第二章のタイトルは「戦争の放棄」であり、憲法第9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と明定している。

 ところが、自民党「日本国憲法改正草案」では、現行憲法第二章のタイトルを「戦争の放棄」から「安全保障」へと転換する。同時に、現行憲法第9条1項は、若干の字句の修正だけで残し、第9条2項は全面削除したうえで、「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と内容変更する。要するに、自民党の「改正草案」は、現行憲法第9条2項の「戦力の不保持」「交戦権の否認」を改めて、「自衛」の名による「戦争をする権利=交戦権」を認める、とするものだ。

 更に、自民党「日本国憲法改正草案」は、第九条の二1項を新設し、「わが国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」と謳っている。同時に、自民党「日本国憲法改正草案」第九条の二5項(新設条項)は、「国防軍」創設に伴って「審判所」(軍事裁判所)を設けると明記する。

 それだけではない。自民党「日本国憲法改正草案」第九条の三(新設条項)は、国と国民に「領土、領海及び領空を保全」する義務を課し、「改正草案」前文では国民に「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守る」義務を課している。憲法による国民への義務押しつけだ。

 多くの沖縄県民は、悲惨な沖縄戦における「皇軍」の蛮行の記憶と、「国防軍」の復活による徴兵制の軍靴の響きが二重奏のように聞こえてくるに違いない。憲法第9条の改憲には体を張って、命を賭けて、阻止しなければいけない。

 自民党「日本国憲法改正草案」の内容による改憲を許すと、「平和憲法」は「戦争憲法」へと変わる。この国は、「平和国家」から「戦争国家」への道を歩むことになる。それは止めなければならない。止めるべく創造的運動をつくらなければならない。いつやるの?今でしょ!

(2013年6月24日 社民党国対委員長 照屋寛徳)


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