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憲法コラム

第55回(5月20日):照屋寛徳 議員

本土「復帰」41年 沖縄の今と平和憲法

山内徳信

 日本国憲法のことを、「平和憲法」と呼ぶことにする。対比するに「大日本帝国憲法」は、差し詰め「戦争憲法」と言えようか。

 さて、1972年5月15日、沖縄が本土「復帰」してから41年の歳月が流れた。すでに梅雨入りをした今年の5月15日「復帰記念日」の沖縄は、41年前のあの日と同様、雷鳴が轟き、風雨の強い天気に見舞われた。

 41年前のこの日、私は「復帰」の欺瞞を問い、平和憲法を求め、「核も基地もない平和な島」を願い、与儀公園(那覇市)で開催された「沖縄県祖国復帰協議会」(復帰協)主催の県民大会に参加した。県民大会終了後、その日をもって「琉球政府」から「沖縄県」へと変わった県庁前まで激しいジグザグデモをしたことを覚えている。

 さて、私たち沖縄県民が求めた平和憲法の下への「復帰」は実現したか。結論はNOである。「復帰」によってたしかに沖縄にも平和憲法が適用されるようになった。同時に、日米安全保障条約と日米地位協定も適用され、「復帰」後今日までの沖縄は、日米安全保障条約が平和憲法に優先し、「反憲法」下の日常を強いられている。沖縄は未だに「憲法番外地」であり、日米の軍事植民地として扱われている。

 沖縄の今と憲法について、二、三考察する。憲法前文2項後段の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」との平和的生存権の保障がない。ウチナーンチュは、欠陥機オスプレイ墜落の恐怖、多発する凶悪な米兵犯罪により、生命・身体への恐怖に怯える毎日だ。ウチナーンチュは憲法11条の「侵すことのできない永久の権利」としての基本的人権の享有が妨げられている。憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する権利」が尊重される国民の埒外にウチナーンチュは放置されている。憲法14条の「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」との精神は、ウチナーンチュには有名無実化している。だから、多くの県民が沖縄の“今”を政府による「構造的差別」だと怒っている。

 そして、ウチナーから平和憲法を奪った歴代政府は、安倍内閣の下で改憲ではなく壊憲し、平和憲法を捨て去ろうとしている。

 5月2日付の朝日新聞夕刊「素粒子」は、次のように嘆く。

 「講和で裏切られ、密約に裏切られ、基地集中で裏切られて。平和憲法がなくなれば復帰を願った祖国もなし」と。「素粒子」の嘆き節は、ウチナーンチュの恨み節だ。

 さて、護憲政党たる社民党の役目は、改憲阻止のための広範な勢力結集を創ることだ。

 わが“心友”早野透桜美林大学教授は「社民党の使命の半分は沖縄の声を敏感的確に伝えることである。それは、日本の戦後構造に対する重大な異議申し立てすることにほかならない」と書き記している(『月刊社会民主』5月号)。刮目に値する至言だ。

 

(2013年5月20日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)


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