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憲法コラム

第193回(11月6日):照屋寛徳 議員

わたしたちに基地も戦争もいらない!−砂川闘争60周年のつどい

【写真】
11月5日、立川市たましんRISURU大ホール

砂川闘争60周年のつどい

 あれから60年−。「砂川闘争」と言っても、今や知っている者は少ない。それもそのはず、かく言う私が10歳の頃の出来事だ。

 1955年5月4日、政府が東京都砂川町(現立川市)に米軍基地拡張を通告した。以後、「土地に杭は打たれても 心に杭は打たれない」を合言葉に団結し、反対する農民らを中心に砂川基地反対同盟が組織され、抵抗闘争が展開されていく。

 わたしたちに基地も戦争もいらない!とのスローガンの下、平和を希求する志を持って決起した農民らの闘いは、大きな運動へと発展する。

 農民らの闘いに連帯する旧社会党を中心とした政党、労働者、学生(全学連)など広範な市民によるデモ、集会、運動が幾重にも組織されたようだ。

 1956年10月12日から13日にかけて、政府は暴力的に土地測量を強行した。その結果、「流血の砂川闘争」が起こる。

 1957年7月8日、米軍占領下で接収された土地に対する強行使用のための基地内土地測量が開始され、抗議する労働者や学生のデモ隊員がわずか2〜3メートル基地内に足を踏み入れただけで「侵入した」として逮捕された。逮捕者23名のうち7名が日米安保条約に基づく刑事特別法違反で9月22日に起訴された。(有名な「砂川事件」)

 1959年3月30日、東京地方裁判所(伊達秋雄裁判長)は「在日駐留米軍は憲法9条に照らして違憲の存在、被告人全員に無罪」の判決を言い渡す。(有名な「伊達判決」)

 ところが、検察庁は極めて異例な跳躍上告(高等裁判所の控訴審をすっ飛ばして最高裁に上告すること)をし、同年12月16日、最高裁は一審「伊達判決」を破棄差し戻し、後に被告人全員が罰金刑の有罪判決を宣告された。(有名な「最高裁砂川判決」)

 「砂川闘争」や「砂川裁判・判決」の歴史的検証をするつもりで、この一文を書き綴っているのではない。

 政府と自公与党が一体となって「最高裁砂川判決」を曲解、悪用のうえ、昨年7月1日に集団的自衛権行使容認(解釈改憲)を閣議決定し、挙句「戦争法」を強行成立させる暴挙へとつながったことを糾弾したいのだ。

 「戦争法」は明白な違憲無効の法律だ。「最高裁砂川判決」が集団的自衛権の限定容認の根拠になるとの言説は、まったくの嘘っぱち、まやかし、詭弁、牽強付会だ。

 「砂川裁判」では、一審でも最高裁でも、わが国の集団的自衛権が争点になっていない。あくまでも、在日米軍の駐留が憲法9条との兼ね合いで違憲か否かが問われたにすぎない。

 結論を言うと、政府は砂川町における米軍基地拡張断念に追い込まれた。

 私たちは今こそ、砂川闘争における勝利を「戦争法」廃止や辺野古新基地反対闘争にひきつけて考え、多くを学ばねばならない。

 昨夜の「砂川闘争60周年のつどい」における基調講演、基調報告では、「砂川闘争」の経験を生かし、発展継承させ、辺野古新基地建設反対闘争にどうつなげるか、辺野古闘争への連帯のあり方−等について様々に語られた。

 私からはキャンプ・シュワブゲート前に警視庁機動隊が投入されたこと、ウチナーとウチナーンチュの尊厳をかけた国家暴力との非暴力闘争が続いていること、全国・全世界からの自立する連帯による緊急支援が必要であること−などを訴えた。

 そのうえで、昨夜の集会呼びかけに「わたしたちに安倍独裁政権はいらない!」と付け加えたい、と願い出た。

 ここまで書き進め、そろそろ筆を置こうとしたところ、議員会館居室の電話が鳴った。

 昨夜の集会で私の講演を聴いたという主婦からで、CV22オスプレイの横田基地配備に反対する運動を今すぐ始め、大きく創り出していかねばならない、旨の発言に"感動した"とのことだった。

 私が常々呼びかけている「真の自立する連帯」の輪は、砂川の地をはじめとする全国各地で着実に拡がっているものと確信する。

(2015年11月6日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

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