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憲法コラム

第191回(9月15日):照屋寛徳 議員

最高裁砂川判決と集団的自衛権

【写真】
「砂川事件判決の真実国会内緊急集会」で連帯あいさつ=9月4日、参院議員会館

「砂川事件判決の真実国会内緊急集会」で連帯あいさつ=9月4日、参院議員会館

 参議院における「戦争法案」の審議が大詰めを迎えた。安倍政権と自公巨大与党は、9月16日から18日にかけて参議院「戦争法案」特別委員会及び本会議における「強行採決」を示唆し、そのタイミングを狙っている。

 一方、野党は、一致して徹底審議を求めている。参議院における問責決議案、衆議院における内閣不信任決議案の提出等を構えつつ、院外の様々な「戦争法案廃案!」「安倍内閣打倒!」の闘いと呼応して、深慮遠謀する。

 かかる「戦争法案」に関する国会内の与野党攻防を反映し、安倍政権に対する国民世論は、依然として厳しい。世論は「戦争法案」は憲法違反であり、今国会会期中に結論を出すことに国民の過半数が反対している。そのことは、どのマスコミの世論調査結果でも明白だ。決して根拠なく、手前味噌で言っているのではない。

 従って、憲法違反の「戦争法案」は廃案にすべきであり、いかに「一強多弱」の国会とはいえ、「強行採決」は絶対に許されない。

 ところで、国会における「戦争法案」審議の中で、亡霊の如く蘇り、大論争の渦中にあるのが1959年12月16日の「最高裁砂川判決」(昭和34(あ)710号 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基く行政協定に伴う刑事特別法(以下「日米安保条約に基づく行政協定に伴う刑事特別法」という)違反事件)である。

 「最高裁砂川判決」をめぐる憲法学者や政治学者の著書、論文等は無数にある。

 私自身もそれらの著書・論文を大学生時代から弁護士、国会議員の現在まで読み耽ってきた。

 最近、私が興味深く読んだ「最高裁砂川判決」関連著書や連載記事を列記すると、(1)『すぐにわかる戦争法=安保法制ってなに?』(戦争をさせない1000人委員会編、七つ森書房)(2)『私たちの平和憲法と解釈改憲のからくり―専守防衛の力と「安保法制」違憲の証明』(小西洋之著、八月書館)(3)『砂川判決と戦争法案―最高裁は集団的自衛権を合憲と言ったの!?』(砂川判決の悪法を許さない会編、旬報社)(4)東京新聞連載「新聞と9条」砂川事件1〜47」など多数である。

 そもそも「砂川事件」とは何か。

 1957年7月、アメリカ軍立川基地の拡張に反対する学生、労働組合員ら約300人が基地内に立ち入り、うち7人が「日米安保条約に基づく行政協定に伴う刑事特別法」違反で起訴された事件である。起訴された7人のうち6人は約4.5m、残る1人は約2.3m基地内に立ち入った)

 私は、7人の元被告(現在「再審免訴」請求中)の一人である土屋源太郎さん(81歳。当時は明治大学生)と幾度となくお会いする機会があり、砂川闘争の現場における話を直に聴いている。

 「砂川事件」に対する一審判決は1959年3月30日、東京地裁(刑事第13部、伊達秋雄裁判長)で言い渡された。有名な「伊達判決」である。

  「伊達判決」の要旨は次の通りだ。

(1)「(憲法第9条は)自衛権を否定するものではないが、侵略的戦争は勿論のこと、自衛のための戦力を用いる戦争及び自衛のための戦力の保持も許さないとするものである」。

(2)「わが国が外部からの武力攻撃に対する自衛に使用する目的で合衆国軍隊の駐留を許容していることは、指揮権の有無、合衆国軍隊の出動義務の有無に拘らず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止されている陸海空軍その他の戦力の保持に該当するものといわざるを得ず、結局わが国内に駐留する合衆国軍隊は憲法上その他の存在を許すべからざるものである」。

(3)「軽犯罪法の規定よりも重罰をもって臨む刑特法第2条の規定は、憲法第31条に違反し、無効である」。

以上の理由等により、伊達裁判長は、被告人7人全員に無罪を宣告した。

 「伊達判決」に対し、東京地検は、最高裁判所に異例かつ異常な跳躍上告をした。この異例な跳躍上告と「砂川事件」最高裁審理の全過程には、当時の外務大臣、在日米大使館、田中耕太郎最高裁長官らが密談・密約を繰り返し、早期結審と一審判決の破棄を画策していたことが、新原昭治氏(国際問題研究家)、末波靖治氏(ジャーナリスト)、布川玲子氏(山梨学院大教授)らの調査・研究で明らかになっている。(詳細は別稿で論じたい)

 さて、安倍政権と自公巨大与党は「戦争法案」における集団的自衛権限定行使容認の論拠を「最高裁砂川判決」に求めているが、同判決は本当にわが国の集団的自衛権限定行使容認を判示したのであろうか。

 結論を先に言うと、答えはノーだ。「最高裁砂川判決」は集団的自衛権限定行使容認を認めていない。そもそも、一審「伊達判決」と「最高裁砂川判決」における最大の争点は、在日米軍が憲法第9条2項によって保持を禁じられた「戦力」に該当する違憲の存在であるあるかどうかであって、集団的自衛権は全く議論されていない。

 「最高裁砂川判決」の要旨(骨子)は、次のとおりである。

 (1)「(憲法第9条2項が)保持を禁止した戦力とは、わが国が主体となってこれを指揮権、管理権を行使しうる戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解するべきである」。

 (2)「(日米安保条約が)違憲なりや否やの法的判断は、純司法的判断をその使命とする司法裁判所の審査には原則としてなじまない。従って一見極めて明白な違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものだ」(いわゆる「統治行為論」)

 (3)上記(1)(2)を論拠に、1959年12月16日、最高裁大法廷は一審判決を破棄し、東京地裁へ差し戻す判決を言い渡した。

 差し戻し後の東京地裁は、1961年3月7日、被告人らに罰金2千円の有罪判決を言い渡し、判決は確定したのである。

 安倍総理は、衆議院「戦争法案」特委で「平和安全法制の考え方は砂川事件判決の考え方に沿ったものであり、判決の範囲内のものであります。この意味で、砂川事件の最高裁判決は、集団的自衛権の限定容認が合憲ある根拠たり得るものであると考えているところでございます」と答弁している。ユクサーヤ!(嘘つきめ!)

 「最高裁砂川判決」を「戦争法案」が合憲であるとの根拠にして、亡霊の如く蘇らせた張本人は自民党の高村正彦副総裁である。

 高村氏は「最高裁砂川判決」の理由の中に「わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」と述べている点に着目し、次のように曲解する。

 「最高裁判決が判示する『自衛のための措置』とは、個別的自衛権とか集団的自衛権を区別せずに、わが国の保有する自衛権を一般的・包括的に表示しているので、ここでは集団的自衛権の行使も含意されている、少なくとも否定はされていないと読むことができる」。(同じ弁護士として、高村氏を「ユクサーヤ!」(嘘つきめ!)とまでは罵倒しないが、手前勝手な判決解釈を得意とする「法匪」と呼ぶことにしよう)

 大詰めを迎えた「戦争法案」について、多くの憲法学者や「法の番人」である元内閣法制局長官らが、明らかに憲法違反で、立憲主義を破壊するものだ、と衆参の特別委員会で証言した。

 この予期せぬ事態に狼狽した安倍総理は、違憲判断は学者ではなく、最高裁がおこなうものだ、と開き直った。

 その「憲法の番人」トップを務めた山口繁・元最高裁長官が去る9月1日、朝日新聞の取材に応じ、次のように述べている。

 「少なくとも集団的自衛権の行使を認める立法は、違憲と言わなければならない。我が国は集団的自衛権を有しているが行使はせず、専守防衛に徹する。これが憲法9条の解釈です」。

 「日本には自衛権を行使する手段がそもそもないのだから、集団的自衛権の行使なんてまったく問題になっていない。砂川事件の判決が集団的自衛権の行使を意識して書かれたとは到底考えられません」―。(9月3日付朝日新聞)

 山口繁氏の見解表明に、安倍総理は狼狽したに違いない。にもかかわらず、「元最高裁長官で『憲法の番人』だったとはいえ、今や『一私人』ですから」などと開き直る。

 ここまで書き記しているうちに、重大な報道に接した。

 9月15日付の朝日新聞によると、「最高裁砂川判決」に関わった入江俊郎・元最高裁判事(故人)が、同判決に関し「『自衛の為の措置をとりうる』とまでいうが、『自衛の為に必要な武力か、自衛施設をもってよい』とまでは、云はない」とのコメントを残していることが分かったらしい。「最高裁砂川判決」において、集団的自衛権は検討されていないことがより明白になった。

 嗚呼。もはや安倍総理につける薬はない。「朕が国家」「朕が憲法」と思い込んでいる独裁者だ。

 かくなるうえは、安倍政権打倒のために全力を尽くすしかない。

 イギリスのジョン・アクトンいはく「権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する」。

(2015年9月15日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

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