HOME特集>憲法コラム>183.照屋寛徳

特集

憲法コラム

第183回(4月15日):照屋寛徳 議員

「護憲の寒椿」「不戦の薔薇」―土井さんの遺志を受け継ぐ

【写真】来県した土井さんと

来県した土井さんと

 愛称「おたかさん」こと土井たか子さんが逝ってしまってから、早や7ヶ月が経過した。

 その間、衆議院本会議場や党本部会議室、辺野古新基地建設阻止闘争の現場などで、お元気な頃の土井さんを思い出すたびに、私の喪失感は深まるばかりである。

 特に、辺野古・大浦湾の海上抗議行動、キャンプ・シュワブゲート前の抗議行動で、国家権力のすさまじい強権行使に茫然と立ちすくむ一瞬、「寛徳さん、何をひるんでいるの。駄目なものは駄目、やるっきゃないのよ。ウチナーンチュの尊厳と憲法の平和主義に反する辺野古新基地建設には断固反対するのよ!」と土井さんの叱咤する声が耳に届く。

 そのような土井さんの幻聴に「そうだ、たとえ日米の強大な権力が相手でもナランンセーナラン、ガッティンナラン」と自らを鼓舞し、シュプレヒコールを叫び、拳を突き上げるのである。

 通常国会は、5月の連休明けにも、昨年7月1日の集団的自衛権行使容認(解釈改憲)閣議決定に基づく安全保障法制(戦争立法)の審議入りが万端整いつつある。自公の巨大与党と一部野党が歩調を合わせ、「戦争ができる国づくり」へと暴走する気配が濃厚だ。

 大げさに言うつもりはないが、今年3月下旬に自公両党が合意した文書「安全保障法制整備の具体的方向性について」は、「明文改憲」をせずに“法の下剋上”による実質的な憲法9条の無効化を狙ったものであることは明々白々だ。

 奇しくも今年は敗戦から70年の節目である。土井さんは、ご自身が阿鼻叫喚の神戸大空襲から生き延び、学者・政治家として一貫して「二度と戦争をしてはいけない。戦争をさせていけない」と生涯を賭けて闘ってくださった。

 その戦争を憎み(拒否し)、平和を愛する思想に根ざして、護憲の政党たる社会党・社民党の衆議院議員(党首)として国会内外で粉骨砕身、八面六臂の大活躍。「歩く憲法」「憲法と結婚した」とも称された。

 政界引退後は、佐高信氏(評論家)、落合恵子さん(作家)らと「憲法行脚の会」を組織し、全国を駆け巡っていた。

 早野透氏(桜美林大学教授)が「月刊社民」4月号に「土井さんは寒さの中で花開く『護憲の寒椿』だった」と書き記している。

 佐高信氏も「土井さんとのお別れ会」で、亡父(書家佐高兼太郎)が色紙に書いた、映画監督五所平之助がつくり女優山田五十鈴に捧げた俳句「生きることは一すじがよし寒椿」が生前お気に入りであった事を紹介し、「寒空に負けず凛として咲く椿はまさに土井さんです」との弔辞を述べておられた。

 私のところに、「不戦の誓い 命どぅ宝」「沖縄の心 命どぅ宝」と書いた土井さんの色紙がある。土井さんご本人は「すみれの花が好き」と生前に語っているが、私はランドセル俳人の小林凛が詠んだ句である「冬の薔薇 立ち向かうこと 恐れず」が好きで、土井さんは「不戦の薔薇」だったように思う。

 土井さん、いよいよこの国は暗い冬の時代に突入せんとしております。この時代に「護憲の寒椿」「不戦の薔薇」として、私たちの心の中で咲いていてください。

 「やるっきゃない」「駄目なものは駄目」と喝破し、焼き芋が大好きで、おはこに「マイ・ウェイ」「サントワマミー」を朗々と歌いあげた土井さん。社民党県連は、4月25日午後4時から、那覇市古島の教育福祉会館(高教組)にて「土井さんを語る会」を開催します。会費千円。

 当日は、土井さんが来県の折、足繁く通った「ナークニー」の上原正吉氏も三線を弾き、土井さんを偲びます。多くの県民のご参加をお待ちしております。

 追伸。今回の憲法コラムは、沖縄での「土井さんを語る会」の告知を兼ねて地元紙へ投稿予定の原稿に加筆し、まとめたものです。

 私は、すでに二回にわたって、憲法コラムで土井さんと憲法について書き綴ってきた。今回、改めて党ホームページや本コラムをご覧になっている皆さん、県外・海外在住のウチナーンチュの皆さんに、土井さんとウチナーの深い繋がりを知っていただこうと考えた次第である。

(関連)
第175回(10月2日) 「憲法と結婚した」土井さんを悼む
第179回(1月14日)土井たか子さんの「護憲論」と「非戦論」

(2015年4月15日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

HOME特集>憲法コラム>183.照屋寛徳