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憲法コラム

第182回(3月10日):照屋寛徳 議員

違憲の刑特法による違法な逮捕

【写真】 3月7日 辺野古

照屋寛徳 3月7日 辺野古

 去る3月22日午前9時5分頃、沖縄平和運動センター議長・山城博治さんと市民1人が刑特法違反容疑で逮捕された。(2人とも留置先の名護署から那覇地検に送致されたのち、翌23日夜には釈放された)

 その日は「止めよう辺野古新基地建設!国の横暴・工事強行に抗議する県民集会」が午後1時から開会される予定であった。同時に、午前10時には沖縄選出野党国会議員、超党派の県議会議員らで漁船をチャーターして、強行されようとしているボーリング調査等の状況視察と海上抗議行動も計画されていた。

 当日、朝早くから準備万端相整う。ところが、辺野古に出発する直前に「悪天候で波浪が高く、海上視察・抗議行動は中止する」との電話連絡が入ってきた。残念至極だ。

 午後からの集会に備えていると、間もなく「山城博治さんが米軍によって拘束され、キャンプ・シュワブ内に連行された」とのネット情報に接した。急いで地元紙電子版を確認すると、事実であることがわかった。すぐに辺野古に向かう。

 キャンプ・シュワブゲート前に到着すると、多くの市民らが山城博治さんらの逮捕に抗議し、即時釈放を求めていた。抗議の市民らに加わって県警、沖縄防衛局の現地指揮官らに状況説明を求めたが拒否(完全無視)される。

 私や野党国会議員らが、山城博治さんらの逮捕された地点(基地内と国道沿いの黄色いペンキで引かれた境界線)より基地側に入り込んで「(故意に)入ったから逮捕してみろ!」と絶叫するも、全くの梨の礫・・・。

 予定通りに開会された集会には約2,800人(主催者発表)の県民が参加した。集会では実行委員会共同代表、阻止行動市民代表、高校生代表らが、国家権力を総動員しての辺野古新基地建設強行を厳しく糾弾し、阻止するまで粘り強く闘う決意が表明された。同時に、山城博治さんらの不当逮捕に抗議し、即時釈放を求める声が挙がった。

 集会を終えて名護署に直行する。名護署は正門、裏門を閉ざし、制服警官を多数配置して構内への出入りを完全にシャットアウトしていた。

 「弁護士の照屋寛徳だ」と名乗り、「接見に来たから直ちに署内に入れろ」と要求するも、約5〜6分接見妨害される。接見のため、先に入構していた三宅弁護士らも駆けつけ、「照屋さんは国会議員だが、弁護士でもある」と一悶着あり、ようやく署内に立ち入る。

 名護署留置場で山城博治さんに接見する。接見中も「不当逮捕だ!即時釈放せよ!」の叫び声が聞こえてきた。翌日の報道で、約500人の仲間が名護署を取り囲み、抗議行動をおこなったことがわかった。

 私から拘束時及び基地内連行時の状況、逮捕・連行時の負傷の有無等をつぶさに聴取した。そのうえで、今度の件で「刑事特別法違反で立件・起訴されることは100%ない。狙い撃ちの見せしめ逮捕で不当だ。勇気を持て、決して屈するな」と励ました。

 山城博治さんらとの接見を終え、心配して名護署に押しかけてくれた500人余の仲間に一部始終を報告し、「不当弾圧に屈せず、最後まで共に頑張る」との二人からのメッセージを伝えた。

 山城博治さんらとの接見中、脳裏に浮かんだのは、県道104号線越え実弾演習の実力阻止闘争に絡む刑特法裁判(喜瀬武原闘争事件)であった。

 1976年9月17、18日の両日、在沖第12米海兵連隊が県道104号線を封鎖して、105ミリ砲と155ミリ砲の実弾射撃演習を予定していた。

 沖縄本島西海岸の恩納村安冨祖(あふそ)から同村喜瀬武原(きせんばる)を通って東海岸の金武町金武に至る8,320メートルの県道104号線は、両村民や近隣住民の生活道路で、通勤・通学路である。県道104号線は、当時その一部が米軍への提供施設に編入され、道路管理権は沖縄県、施設管理権は米軍=防衛施設庁(現防衛省)が有するという変則的な県道であった。

 当時、米海兵隊は県道封鎖のうえ、金武町中川近くのGP15、GP16の砲座から恩納岳の麓に核・非核両用の155ミリ榴弾砲等を撃ち込む演習をおこなっていた。演習による山火事、水源地汚染、住宅地への流弾事故、自然破壊と学習環境破壊等の深刻な被害に住民は苦しめられていた。

 原水爆禁止沖縄県協議会傘下の労働組合、革新政党、市民団体らが、着弾地潜入闘争を果敢に決行した。山頂付近で発煙筒を焚き、狼煙を上げ、一発の砲弾も撃たせない阻止行動を数度にわたって展開していた。

 決死的な着弾地潜入闘争に焦った日米両政府は、広大な演習場を有刺鉄線のフェンスで囲い、迂回道路を新設して刑特法による逮捕・弾圧体制を強化した。

 その結果、1976年9月17、18両日の実弾演習を阻止された米軍は、沖縄県警に要請し、北部地区労書記の仲村善幸(当時。現名護市議)ら4人の労働者を刑特法第2条違反で逮捕、強制捜査のうえ、起訴したのである。

 刑特法の正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法」である。(昭和27年法律第138号)

 同法第2条は「正当な理由がないのに、合衆国軍隊が使用する施設又は区域であって入ることを禁じた場所に入り、又は要求を受けてその場所から退去しない者は、1年以下の懲役又は2千円以下の罰金もしくは科料に処する」と規定する。

 軽犯罪法(昭和23年法律第39号)第1条は「次の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する」と規定し、第1号から34号までを列記する。第32号には「入ることを禁じた場所又は他人の田畑に正当な理由がなく入った者」と定めている。

 刑特法は軽犯罪法に比べ、はるかに重罰をもって米軍基地を守っている憲法違反の法律だ。憲法法体系を侵蝕し、優越する安保法体系の一つである。

 喜瀬武原事件で逮捕された4人の労働者は、決死の思いで確信犯的に着弾地に潜入し、実弾射撃演習を阻止したために逮捕・起訴された。沖縄で大衆運動に刑特法を適用した初の事件であり、裁判だった。

 一方、山城博治さんらの逮捕は、故意による基地侵入でもないのに狙い撃ち逮捕した点で、喜瀬武原事件と決定的に異なる。

 共通するのは、喜瀬武原事件も山城博治さんらの不当逮捕も、実弾射撃演習と辺野古新基地建設という国家暴力に対し、ウチナーンチュの尊厳回復を求めた決死的闘い(抵抗権行使)の中から発生したことである。

 喜瀬武原事件の刑特法裁判で弁護団長を務めた伊達秋雄弁護士は「硝煙の日々―沖縄・刑特法裁判闘争の記録」に次のような一文を寄せている。

 「これまでの歴史は、日本を含め国の安全と防衛の中心を軍備におき、さらに進んで自国の発展を戦力と戦争を手段として他国を侵略する軍国主義に置いていた。日本国憲法は、世界に先駆けて軍国主義を放棄したばかりでなく、国の安全と防衛についてさえ、戦力を用いないことをきびしく宣言したのであった。この平和的方法によって国民生活の福祉の増進と個人の基本的人権を確保しようとした。

 このような革命的ともいえる国の大方針に反するものは違憲・違法として拒否されるべきであり、憲法を守る義務と利益をもつ国民一人ひとりは、これに対して相応の抵抗権をもつものというべきである。

 本件における無謀な米軍実弾演習は、まさに米軍・日本政府の一体となった憲法上の平和主義に反する集中的な表現とみるべきであり、被告らの決死的な行動は、まさに平和憲法の具体的な実現であった。それはまた、反戦平和を念願する沖縄県民の総意を代表するものであった」―と。

 抵抗権は立憲主義を支える基本理念だ。日米両政府の圧政と暴政に抵抗することは、ウチナーンチュの正当な権利である。

 辺野古新基地建設阻止の闘いは、自然権たる抵抗権の正当な行使による非暴力闘争である。「違憲の刑特法による違法な逮捕」をした日米政府権力こそ裁かれるべきだ。

(2015年3月10日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

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