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憲法コラム

第180回(2月5日):照屋寛徳 議員

戦後50年「村山談話」と戦後70年「安倍談話」

【写真】韓国にて講演する村山元総理=2014年2月

照屋寛徳

 私が初めて国会議員に当選したのは、1995年7月23日に施行された参議院選挙である。当選翌日が私の50歳の誕生日だったので、今でも鮮やかに記憶している。

 国政選挙に初挑戦の私は、出馬表明の記者会見で「個人史とこの国の戦後史を重ねる中で、『基地の島』沖縄からこの国の戦後民主主義を問うてみたい」などと、当選の見込みもないのに随分と気負った(無謀とも思える)抱負を語ったものだ。

 私は、当時の社会党推薦の革新・無所属候補として、自民党現職、共産党新人と三つ巴で定数1を争う沖縄選挙区で戦った。結果は、マスコミをはじめ大方の予想に反し、私が当選してしまった。まさに青天の霹靂だ。

 当時は自社さ連立政権で、総理大臣は社会党委員長の村山富市氏であった。私は、当選後に無所属で社会党と会派を組み、いきなり連立与党の一員になった。

 私が参議院議員としての活動を開始した直後の8月15日、「戦後50年に際しての談話」が閣議決定を経て、村山富市総理談話(「村山談話」)として発表された。

 最近では、タカ派文化人や歴史修正主義者らから「村山談話」に対する悪口雑言、誹謗中傷などがあるが、私は「村山談話」発出当時から現在に至るまで、「村山談話」こそ正しい歴史認識に基づいて、わが国の非戦と平和創造の決意を国際社会に表明した歴史的談話である、と高く評価している。

 紙幅の都合で「村山談話」全文を紹介できないのは残念だ。それでも「村山談話」の次の一節だけは強く、深く記憶に刻みたい、と念じつつ書き記しておく。

 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもない歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」―と。

 私は、「村山談話」こそ戦後50年の節目に発出された「平和国家日本」の宣言であり、アジア諸国との平和外交、平和交流の土台だと考える。

 「村山談話」については、多くの識者による評論文があるが、私が読んだ中で感銘を受けたのは、村山富市・佐高信共著『「村山談話」とは何か』(角川書店、2009年)である。

 前掲書では「村山談話」誕生までの閣議秘話も紹介され、政治家・村山富市の生い立ち、政治信念、総理としての覚悟などが詳述されている。必読に値する著書だ。

 前掲書の中で、佐高信氏は次のように述べている。

 「戦争直後に作られた憲法も大事だけど、村山談話も戦争の実感がつくりあげた財産です。日本国憲法が総論だとすれば、村山談話は各論のようなものだ」―と。極めて意味深長だ。

 さて、今年は悲惨な沖縄戦終結から70年、太平洋戦争敗戦から70年の節目の年である。

 昨今、戦後70年「安倍談話」について話題騒然、議論沸騰している。その口火を切ったのは、安倍総理本人である。

 安倍総理は、去る1月25日のNHK番組で、8月に発表予定の戦後70年「安倍談話」について「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍内閣としてこの70年をどう考えているかという観点から談話を出したい」と述べた。

 この安倍総理のNHKでの発言の後、様々なマスコミや開会中の衆参国会審議の中で、戦後50年「村山談話」、戦後60年「小泉談話」、そして発出予定の「安倍談話」をめぐる議論が活発に展開されている。当然ながら、議論は「談話」の単なる形式的な文章表現にあるのではない。「村山談話」の精神継承と安倍総理の歴史認識そのものが鋭く問われているのである。

 戦後50年「村山談話」は、その後の歴代内閣がそろってこれを踏襲してきた。

 第一次安倍内閣も「村山談話」について、「私の内閣で変更するものではない」明言した。

 第二次安倍内閣では「安倍内閣として村山談話をそのまま継承している訳ではない」と発言する一方で、「安倍内閣として歴代内閣の立場を引き継いでいる、侵略や植民地支配を否定したことは一度もない」と述べるなど優柔不断、迷走発言に転換した。

 そして、今や第三次(大惨事)安倍内閣である。

 ここに至って、安倍総理の本音が段々と明らかになった感がある。安倍総理は、口先では「村山談話、戦後60年の小泉純一郎首相の談話を全体として受け継いでいく」と繰り返す一方で、「今までのスタイルをそのまま下敷きとして書くことになれば、今まで使った言葉を使わなかった、あるいは新しい言葉が入ったという細々(こまごま)とした議論にならないよう、70年談話は70年談話として出したい」と強弁する。

 そのうえで「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」などのキーワードを同じように使うかと問われると「そういうことではない」と言下に否定している。

 念のため、戦後60年「小泉談話」の歴史認識に関する一節も引いておこう。

 「また、わが国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です」―。

 ここまで私の拙いコラムをお読みいただいて、お分かりだろうと思います。

 戦後50年「村山談話」、戦後60年「小泉談話」とも、かつてわが国が「国策を誤り」「植民地支配と侵略」で「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛」を与えた「歴史の事実を謙虚に受け止め」、「痛切な反省」と「心からのお詫びの気持ち」を表明しているのである。

 どうやら、国会論戦やマスコミ報道における言動に照らすと、安倍総理は「村山談話」「小泉談話」の極めて重要なキーワードを「細々とした議論」だと一蹴し、歴史修正主義に基づく安倍流「積極的平和主義」を前面に押し出して、戦後70年「安倍談話」を発出せんとしているようだ。8月15日のその日まで、注目して監視したい。

 今はただ、安倍総理に統一ドイツの初代大統領リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏の次の言葉を贈りたい。

 「過去に目を閉ざす者は結局のところ政府にも盲目となる」(戦後40年、西ドイツ(当時)の首都ボンにおける連邦議会演説)

 「過去を否定する人は過去を繰り返す危険を冒している」(戦後50年来日時の講演)

 

(2015年2月5日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

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