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憲法コラム

第178回(1月7日):照屋寛徳 議員

敗戦70年の節目の年頭に非戦と護憲を誓う

【写真】小選挙区連続5選を決め、歓喜のカチャーシー=2014年12月14日、選対本部 事務所

照屋寛徳・10月17日衆議院安保委員会

 2015年、悲惨な沖縄戦終結と太平洋戦争の敗戦から70年のときを迎える。

 この節目の年頭に非戦と護憲の誓いを新たにした。私の「非戦と護憲の誓い」について敷衍(ふえん)する前に、「選挙イヤー」といわれた2014年の沖縄で起こった「民意の反乱」について記述しておきたい。

 近年の沖縄における最大の政治・社会問題は、米軍普天間基地の辺野古移設(正しくは辺野古新基地建設)をめぐる動きである。

 ここ数年、美ら海辺野古の海上で、米軍キャンプ・シュワブゲート前で、さらには普天間基地と県庁前で、ウチナーウマンチュによる辺野古新基地建設阻止の非暴力抵抗闘争が続けられている。この闘いは、立憲主義に基づき近代憲法で人民に信託された権利、すなわちウチナーンチュの人間としての尊厳を侵す国家権力による行為に対する抵抗権の行使である。

 ところが、ウチナーがいくら抵抗し、拒否の意思を示そうとも、歴代政権は一顧だにしない。中でも、安倍政権は強権的だ。日米合意を大上段に県民を分断し、国家権力を総動員して辺野古新基地を建設せんと躍起になっている。

 その象徴的な出来事、事態の重大な転換点になったのが、仲井真知事(当時)と沖縄選出・出身衆参5人の自民党国会議員、自民党県連による“公約裏切り”であった。

 彼らは選挙で普天間基地の辺野古移設反対を掲げて当選したのに、政府の強大な権力に屈服し、いくばくかの“カネ”の誘惑に負けて、ウチナーンチュの誇りと尊厳をかなぐり捨てたのである。

 2013年末には、仲井真知事が公有水面埋立法に基づく辺野古埋め立て承認をした。その直前には、自民党国会議員5人が石破幹事長(当時)の脇でうなだれて辺野古容認に転じた姿が、各種メディアで大々的に報じられた。報道を通じ、その異様な姿を現認した多くの県民が「平成の琉球処分」だと直感した。

 2014年の年明け早々、名護市長選挙があった。再選を賭けた稲嶺名護市長は、一期目同様に「辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない」との公約を掲げた。相手の自民党推薦候補は、辺野古新基地建設推進の立場であった。

 この市長選挙でも、安倍内閣と自民党は「琉球処分官」石破幹事長を先頭に巧妙な利益誘導と恫喝を仕掛けてきた。

 だが、結果は大差での稲嶺市長再選であった。名護市民は再び辺野古新基地建設反対の民意を示したのである。

 同年8月の名護市議会選挙でも稲嶺市長与党が多数を占めた。

 そして11月、天王山の知事選挙は、安倍政権に屈服・迎合し、辺野古新基地推進を公約した現職・仲井真候補と「オール沖縄」で「建白書」実現をめざす勢力に推され、辺野古新基地建設阻止を公約に掲げた翁長雄志候補(前那覇市長)との事実上の一騎打ちとなった。

 翁長候補は「イデオロギーよりアイデンティティ」「誇りある豊かさを」とのキャッチフレーズを前面に押し出し、従来の「保守・革新」の枠組みを越えた共闘体制を構築した。一部企業人や自民党を除名された那覇市議団(新風会)も「ひやみかち うまんちゅの会」(翁長選対)に結集した。1950年代の米軍支配下の沖縄における「島ぐるみ」抵抗闘争の“現代版”とでも呼ぶべき、辺野古新基地建設阻止に向けた「オール沖縄」の選挙共闘である。

 結果は、翁長候補が約10万票の大差で、歴史的勝利を果たした。同日選挙となった那覇市長選挙でも「オール沖縄」陣営の城間幹子氏が圧勝し、県都那覇市に初の女性市長が誕生した。

 辺野古新基地建設反対のウチナーの民意は、安倍内閣はもちろんのこと、アメリカをはじめとする国際社会に向けても示されたのである。

 知事選挙の終盤戦になって、永田町の政局は風雲急を告げ、衆議院は11月21日に解散された。

 迎えた12月14日の解散総選挙に向け、知事選に続いて衆議院選挙でも「オール沖縄」の「建白書」勢力が共闘体制を組んだ。沖縄4選挙区全てに候補者を擁立し、(1)辺野古新基地建設反対(2)自民党4衆議院議員の“公約裏切り”弾劾(3)国政の場で翁長新知事を支える―との共通公約を掲げて戦ったのである。

 選挙結果は、1区から4区まで「オール沖縄」の「建白書」勢力が全員当選し、公約違反の自民党公認候補に「落選」の鉄槌を下した。ウチナーの民意は、紛れもなく辺野古新基地建設反対にあることが衆議院選挙でも示されたのである。

 一方で、自民党公認候補4人全員が「比例復活」したのは残念至極、悔しい限りだ。ただ、それは「小選挙区比例代表並立制」という民意を正確に反映しえない選挙制度の「負の側面」によるものだ。彼らは、代議制民主主義に基づく選挙民たる有権者の信託を受けていない。県民は決して、ウチナーの民意に背く自民党4衆議院議員を国会に送り出したわけではない。

 私は今度の衆議院選挙でも、普天間基地や嘉手納基地など在日米軍基地が一番多く集中し、この国の「安全保障の縮図」のような沖縄2区から立候補した。

 選挙戦を通じ、これまで同様(1)辺野古新基地建設反対(2)東村高江の米軍ヘリパッド建設反対(3)オスプレイ撤去―など基地負担と犠牲の強要は認められないと有権者に訴えた。

 同時に、相手の自民党公認候補が自衛隊の「国防軍」への格上げ、9条改憲など自民党「日本国憲法改正草案」に基づく公約を明示したのに対し、徹底的に反論、追及した。悲惨な沖縄戦の中で、軍隊は住民の命を守らなかったという沖縄戦の実相に触れ、本土復帰前の「無憲法」下での米軍支配による惨状を具体的に有権者に語りかけた。

 私の評価では、相手候補は安倍総理以上の“軍国主義者”である。絶対に負けまい!と毎日のように決意を新たにして選挙戦に臨んだ。

 結果は、51.58%という低投票率の中で8万5,781票(得票率62.2%)を獲得し、相手候補に3万3,625票の大差で圧勝した。選挙区管内でいえば、知事選挙での翁長候補の得票率を10ポイント上回り、普天間基地を抱える宜野湾市で相手候補に6千票以上の大差(知事選挙での票差の2倍)をつけての当選である。

 今や“政界の絶滅危惧種”と揶揄される社民党の私が、小選挙区で5連勝した。
だが、私や社民党の勝利ではない。国家権力を総動員して、受忍限度をはるかに超えた基地負担と犠牲を強要する安倍独裁政権にウチナーウマンチュが“一票一揆”の抵抗権を行使した結果である。

 解散総選挙後が終わり、12月24日の特別国会での首班指名を経て、第3次安倍内閣が誕生した。(「大惨事安倍内閣」と命名したのは早稲田大学・水島朝穂教授だが、言い得て妙だ)

 解散総選挙で「この道しかない」と政治的詐術を弄した安倍内閣の「この道」の先に集団的自衛権行使のための法整備、そして“壊憲”と改憲が待っているのは間違いない。

 「戦争国家」への暴走を見過ごすわけにはいかない。

 敗戦70年の節目の2015年、「非戦と護憲の誓い」も新たに国会内外で不屈に闘い続ける覚悟だ。

 ※しばらく中断していた「憲法コラム」を再開します。ご一読のうえ、ご叱正ください。

(2015年1月7日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

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