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憲法コラム

第170回(8月22日):照屋寛徳 議員

海上保安庁は憲法無視の「海の無法者」と化した

【写真】座り込み闘争3,777日目=8月21日、辺野古テント村

「島ぐるみ会議」結成を報じる7月29日付琉球新報(右)と沖縄タイムス

 「本土」復帰後42年余の歳月の中で、かつて海上保安庁がウチナーンチュの市民運動を威嚇・抑圧し、無謀極まりない弾圧を加えたことがあっただろうか。私の記憶にはない。

 私は、サトウキビ作りや養豚を生業とするヒンスーハルサー(貧乏農家)の三男坊である。そのせいか「海の生活」とは無縁で、幼少の頃から今日まで、海上保安官には「海のおまわりさん」という程度の甘い認識しかなかった。

 日米両政府が、米海兵隊のために名護市辺野古の美ら海(ちゅらうみ)を埋め立て、国家権力を総動員して普天間飛行場に替わる新基地建設を強引に推進していることは、これまで再三再四にわたって書き記し、発言してきた。

 その辺野古海域を抱える地元名護市では「辺野古の海にも陸にも基地を造らせない」と公約した稲嶺進市長が二期連続で当選し、世論調査でも沖縄県民の約7割が新基地建設の意思を示しているにもかかわらず、日米両政府は全く無視の態度だ。

 今、辺野古の新基地建設現場では、海域における小型船やカヌーによる海上抗議行動、陸上における座り込み闘争やキャンプ・シュワブゲート前における非暴力の抗議行動が毎日展開されている。しなやかで、したたかな抵抗闘争だ。ウチナーンチュによる、国家権力の横暴に対する自然権としての抵抗権の発露である。

 そんな新基地建設現場の辺野古海域で、海上保安庁は多数の巡視船、エンジン付きゴムボートを繰り出して、市民の合法的で正当な示威行動を威嚇・抑圧し、弾圧している。

 キャンプ・シュワブ沿岸の辺野古海域では、先に日米合同委員会合意に基づく官報告示がなされ、立ち入り制限水域が事実上拡大された。日米地位協定の実施に伴う刑事特別法(刑特法)の発動も視野に、新基地建設に反対する市民らを強制排除して取り締まろうとする国家意思の発令だ。

 日本政府は、日米安保条約に基づく基地提供義務を、新基地建設工事阻止闘争を封殺するために拡大適用したのである。まさに「朕が国家なり」「朕が憲法なり」の哲学を持つ、安倍総理の政権意思の現れである。

 ここで、海上保安庁法(昭和23年4月27日、法律第28号)に基づく海上保安庁の任務について考察してみよう。

 海上保安庁法第2条1項は、次のように定めている。

 「海上保安庁は、法令の海上における励行、海難救助、海洋汚染等の防止、海上における船舶の航行の秩序の維持、海上における犯罪の予防及び鎮圧、海上における犯人の捜査及び逮捕、海上における船舶交通に関する規制、水路、航路標識に関する事務その他海上の安全の確保に関する事務並びにこれらに附帯する事項に関する事務を行うことにより、海上の安全及び治安の確保を図ることを任務とする」―と。

 同法第5条では「海上保安庁は、第2条第1項の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる」として、1号から31号までの事項を列記している。

 たとえば、12号には「海上における船舶の航行の秩序の維持に関すること」、13号では「沿岸水域における巡視警戒に関すること」―などと明記されている。

 私は、海上保安庁の設置目的や海上保安官の任務を否定するものではない。むしろ、島嶼県沖縄、海洋国家日本にとって、その役割と責任は重大である、と考えている。

 ところが、そのような任務と使命に基づいて法的責任を負うべき海上保安庁が、辺野古の新基地建設現場で市民の海上抗議行動に牙をむき、敵対し、弾圧している。そのことに私は怒っているのだ。

 はっきり言う。今や海上保安庁は、辺野古海域で米軍と沖縄防衛局の「傭兵」と化している。海上の安全を守る使命を超えて、米軍訓練と新基地建設工事を守る活動(任務)に明け暮れている。

 私は去る8月13日、沖縄県選出・出身野党国会議員「うりずんの会」として「基地の県内移設に反対する県民会議」のメンバーに同行し、第11管区海上保安本部(秋本茂雄本部長)へ「辺野古埋め立て工事に伴う周辺海域での過剰な警戒、監視行動の中止を求める要請」に行ってきた。

 要請書では、第11管区海上保安本部が巡視船やゴムボートによる海上監視・警戒行動の名目でカヌー隊による示威行動を威嚇し、排除する行為を厳しく糾弾している。

 そのうえで、要請書は「海上保安本部は、民主主義の根幹である憲法で保障された表現の自由を侵してはならず、このような過剰な海上警備を直ちに中止すべきである」と結ぶ。

 憲法第21条1項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めている。同条は、民主社会における国民主権に基づく基本的人権の根幹をなすものだ。

 言わずもがな、辺野古新基地建設闘争現場海域におけるカヌー隊による海上抗議行動は、憲法第21条が保障する「表現の自由」である。

 このようなカヌー隊による海上抗議行動に対し、海上保安庁は立ち入り禁止区域に侵入してもいないのに「工事現場に近づくな」と携帯マイクで怒鳴り散らしては、法的根拠に乏しい過剰な規制を平然とおこなっている。挙句、カヌー隊隊員を強引に「確保」する等の暴挙で軽傷を負わせた。

 私は、これらの海上保安庁の行為が刑法第195条の特別公務員暴行陵虐罪に該当するのではないか、と真剣に捉え、強く批判するものである。

 さらに許せないのは、海上抗議行動や新基地建設工事にともなう作業を取材し、報道するためにメディアがチャーターした船に対しても、海上保安庁が不当な規制をしていることだ。

 報道機関による報道は、国民の知る権利に資するため、「報道の自由」として憲法第21条に定める「表現の自由」の一つとして位置づけられ、保障されている。同じように、報道のための「取材の自由」も憲法第21条に照らして最大限に尊重されねばならない。

 もう一つ、海上保安庁の許せない行為がある。

 憲法第31条は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と明定している。

 辺野古新基地建設現場海域における海上保安庁の一連の取り締まりは、法的根拠に著しく欠ける。明らかに憲法第31条に定める「適正手続きの保障」に反している、ものと考える。

 私は、憲法第21条、同第31条に反し、「海の無法者」と化した海上保安庁を絶対に許さない!ウチナーンチュの尊厳を守るためにも、徹底的にその責任を追及していくつもりだ。

(2014年8月22日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

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