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憲法コラム

第169回(8月18日):照屋寛徳 議員

沖国大ヘリ墜落・炎上事故から10年−記憶の継承と怒りの継続−

【写真】「米軍ヘリ墜落10年抗議集会」で連帯あいさつ=8月13日、宜野湾市役所前

「島ぐるみ会議」結成を報じる7月29日付琉球新報(右)と沖縄タイムス

 2004年8月13日14時18分ごろ、米海兵隊岩国基地から普天間基地に派遣されていたCH53D大型輸送ヘリが、宜野湾市の沖縄国際大学に墜落・炎上した。奇跡的に、民間人の死傷者(人的被害)は出なかった。

 あれから10年の歳月を刻んだ―。あの日の「奇跡の惨劇」たる事故の記憶、軍用機墜落の恐怖と怒りが、市民・県民の間でどのように継承されているのか、改めて考えてみた。

 2004年8月13日の午後、私は宜野湾市内にある自身の後援会事務所で、新里米吉県議(当時・社民党県連書記長)と当面する国政の課題や沖縄の諸情勢について話し合っていた。

 話し合いを終え、14時から開会予定の伊波洋一市長(当時)の訪米報告会を聞くため、新里県議と二人して宜野湾市立中央公民館へと向かった。

 会場へ向かう途中、消防車やパトカーのサイレン音がけたたましく、鋭く耳に入ってきた。一瞬、二人で顔を見合わせ、「事件か事故でも発生したのかなー」と呟きあった。

 ほどなく会場に到着する。降車して入り口に差しかかると、顔なじみの新聞記者が「普天間(基地)の米軍大型ヘリが沖国大に墜落したらしい!」と教えてくれた。訪米報告会の始まっている時間であったが、準備された椅子に座ることもなく再び車に飛び乗り、墜落現場へと急行した。

 私と新里県議が駆けつけた時は、すでに現場周辺では交通規制がおこなわれていた。車で現場に行くことを断念し、徒歩で近づくことにした。だが、墜落現場へ至る住宅街の道路も米軍が封鎖もしくは通行規制をしている。

 やっとの思いで墜落現場付近まで来ると、宜野湾市消防や米軍が消火活動に従事していた。墜落現場は煙が立ち込め、大勢の米兵が取り囲み、時折パトカーや救急車のサイレン音が鳴り響く。すると、すぐに乗務員の米兵一人が病院に搬送されたらしい、と伝わってきた。

 結局、宜野湾市消防による消火活動終了直後から、墜落現場は米軍の管理下に置かれ、国(日本政府)・県・市の関係者の立ち入りは一切許されず、消防や警察による現場検証も拒否された。

 事故現場の管理権原が米軍から沖縄県警に移ったのは、8月19日の午後である。だが、その時は、米軍が事故機の機体(残骸)を持ち運び、墜落現場の土壌をも持ち去った後だった。完全で悪質な証拠隠滅である。

 復帰後、沖縄には憲法が適用されるようになったが、日米安保条約の適用対象にもなった。その結果、基地沖縄では「憲法法体系」よりも「安保法体系」が優先し、主権国家日本としての主権が侵害されている―と、私はこと有るごとに訴えてきた。

 「憲法法体系」に優先する「安保法体系」、そして日米安保条約に基づく日米地位協定と様々な民事・刑事の特別法と特例法が、この国の主権を侵害し、県民(国民)の尊厳と基本的人権を奪っている。しかも、沖縄では「日常的」と言えるほどに常態化している。本当に憤懣やるかたない。ワジワジーの毎日だ。

 10年前の沖国大への米軍大型ヘリ墜落事故では、「憲法法体系」と「安保法体系」との関係で、実に奇妙な事態が出現した。

 というのも、実は不平等・不公平な日米地位協定上、墜落・炎上した米軍ヘリの機体(残骸)は米軍の財産である。従って、米側の許可がない限り、墜落直後の機体等に対して日本の警察権、捜査権が及ぶことはない。だから、現場検証はおろか、墜落現場への立ち入りさえも許されなかったのだ。

 さらに重大なのは、事故機の回転翼安全装置と氷結探知機には放射性物質ストロンチウム90が使用されていた。氷結探知機と安全装置が入った容器6個のうち5個は回収されたが、残りの1個は「焼けて気化し、識別できなかった」(2004年9月3日、米国大使館発表)。(なお、発見されたストロンチウム90を含むこれらの装置は、防護服に身を固めた米兵がひそかに回収した)

 日本国憲法前文第二段は「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」と定めている。いわゆる平和的生存権の規定である。

 私は、憲法前文に定める平和的生存権は、それを侵害する国(たとえ米国であろうと)の行為について救済を求める裁判規範性を有する具体的権利(基本的人権)である、と考えている。

 だが、ウチナーンチュは、米軍の直接支配下に置かれた27年間も、復帰後42年を経た今日も、米軍機墜落の恐怖から免れることはない。それ故、平和的生存権を行使して日米両政府に異議を唱え、闘い続けているのである。

 さて、沖国大への米軍大型ヘリ墜落から10年目の去る8月13日、私は沖縄平和運動センターが主催する「米軍ヘリ墜落抗議、普天間基地閉鎖・返還要求抗議集会」に参加し、連帯挨拶をおこなった。

 集会中、轟音(殺人的爆音)をとどろかせて、市街上空を欠陥機オスプレイが飛び、普天間基地へと帰還していた。オスプレイ特有の轟音(殺人的爆音)は、単に静寂な日常のひと時を掻き消すだけではない。市民・県民には、暮らしと生命を脅かす恐怖として迫ってくる。

 思い起こすと、2004年8月13日の沖国大への米軍大型ヘリ墜落から10年を経ても、欠陥飛行場フテンマの危険性は依然として消えない。むしろ、オスプレイの強行配備と横暴極まりない訓練強行によって基地機能は強化され、受忍限度を超えた健康破壊、生活環境破壊と墜落への恐怖は緊迫の度を増している。

 そのような中での日米両政府による不条理な軍事植民地的扱い(特に日本政府の沖縄への「構造的差別」強要)と、沖縄内部から日米両政府に屈服し、ウチナーンチュの尊厳と人権をカネで売り渡すかのように迎合する知事や自民党国会議員らに対する怒りも沸点に達している。

 いま沖縄では、辺野古新基地建設が国家権力を総動員して強行されつつある。東村高江の米軍ヘリパッド工事も然りだ。

 一方で、それらに対する市民・県民の非暴力闘争も続いている。厳しい事態に直面しているが、私たちが屈することは絶対にない。負けるわけにはいかない。

 欠陥飛行場フテンマの即時閉鎖・返還と辺野古新基地建設に反対する闘いは、憲法13条が保障する「生命・自由及び幸福追求」の正当かつ正義の要求である。

 ウチナーンチュの生命、自由及び幸福を追求し、その実現を図るためには、辺野古新基地建設阻止はもちろん、全ての米軍基地を沖縄から撤去させるしかない。

 このウチナーの決意と覚悟の下に、県境・国境を越えた真の連帯を寄せて下さい。同情ではなく、共に行動し、闘うための連帯を!

(2014年8月18日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

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