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憲法コラム

第165回(7月11日):照屋寛徳 議員

自衛隊員の命は鴻毛より軽いのか!!

【写真】7月6日付の東京新聞

ランドセル俳人の五・七・五 いじめられ行きたし行けぬ春の雨

 鴻毛(こうもう)とは、鴻(おおとり)の羽毛のこと。手元の広辞苑には「きわめて軽いことのたとえ」とある。

 デジタル大辞泉では、「死は或(ある)いは泰山より重く或いは鴻毛より軽し」について、「《司馬遷「報任少卿書」から》命は重んじて惜しむべき場合と、潔く捨てるべき場合とがある。その判断は義にかなうか否かによるべきである」と解説している。

 ウィキペディアを検索すると、1882年(明治15年)1月4日、明治天皇が陸海軍の軍人に下賜した勅諭(正式には『陸海軍軍人に賜はりたる敕諭』という)に「鴻毛の軽さ」の記述があった。

 それによると、「戦いに於いては『義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ』と、『死は或いは泰山より重く或いは鴻毛より輕し』という古諺を言換え、『普段は命を無駄にせず、けれども時には義のため、喩えば天皇のため国のために、命を捨てよ』と命じた」とある。

 ところが、今の自衛隊員の命は、普段から(正確にいうと、入隊直後の教育訓練の時から)「鴻毛の軽さ」の扱いを受けている―というのが今日の憲法コラムのテーマである。

 去る5月24日、神奈川県横須賀市田浦港町にある海上自衛隊潜水医学実験隊の訓練水槽で、2等海尉1名が死亡、海曹長1名が意識不明の重体(のちに死亡)となる潜水訓練中の事故が発生した。

 上記事故報道に接した私は、議員会館居室にて6月4日、11日の2回にわたり、事故原因や潜水訓練の実態等に関する説明を防衛省人事教育局等関係職員から聴取した。

 6月11日の説明聴取の際、防衛省担当職員より「教育訓練に係る隊員の死亡事故について(平成16年度〜平成26年度(現在))と題する資料(以下、「死亡事故資料」という)を実にさりげなく手渡された。

 手渡された「死亡事故資料」を見て、一瞬目が点になった。「死亡事故資料」には、平成16年度から平成26年度(現在)の間、陸上自衛隊で47件、海上自衛隊で9件、航空自衛隊で6件、合計62件の教育訓練中の死亡事故が、発生年月日と概要毎に記載されていた。

 戦地に赴き、戦闘に参加(=有事)しているわけでもないのに、普段(=平時)の教育訓練中にかくも多くの自衛隊員が死んでいる。なぜだ?納得できん!

 しかも、死亡原因を見ると、陸上自衛隊における死亡事故47件のうち19件は「持続走訓練中」に、航空自衛隊における6件の死亡事故のうち4件が「3km走」や「持久走訓練中」に、海上自衛隊では9件の死亡事故のうち3件が「航海中行方不明」に、もう3件は「潜水訓練中」に死亡、となっている。

 自衛隊員は日々訓練しており、肉体的には他の同年代の青年男女より強靭と思われる。その自衛隊員が「持続走訓練中」にバタバタ死んでいるのだ。

 これは、きっと訓練内容と指導監督、訓練時の救急救命体制に大きな問題があるに違いない、と疑念を抱くのは至極自然であり、常識的だろう。

 早速、6月18日付で「自衛隊の教育訓練に係る隊員の死亡事故等に関する質問主意書」を提出し、政府の見解を求めた。

 6月27日付で、私の質問主意書に対する政府答弁書が閣議決定され、即日受領した。

 政府答弁書を一読して、またまた驚愕した。いや、強い衝撃を受けると同時に落胆した。

 私が質問主意書で全国の警察官及び消防職員の教育訓練中死亡事故件数、その発生率等を自衛隊員のそれと比較のうえ明らかにするよう質したのに対し、次のように答弁したのである。

 教育訓練中の死亡事故は、自衛隊員が合計62件であるのに対し、警察官は9件、消防職員は10件である―と。

 私の国会事務所で、死亡事故発生年度の各定員数等を勘案し、発生率(概算)を算出したところ、自衛隊員は警察官の約7倍、消防職員の約3倍も多く死んでいることが判明した。

 私が質問主意書で「訓練中または訓練直後の隊員の突発的な体調異変に対する救急救命体制は如何様なものか」と具体的な説明を求めたのに対し、答弁書は「教育訓練の実施に際しては、教育訓練の実施責任者や安全係を配置するなど適切な安全管理体制をとることにしている」―と、さも安全配慮義務を尽くしているかのような、それでいて具体性のない木で鼻を括った回答にとどまっている。

また、私が「死亡事故資料」に記載された全62件の当該訓練死亡事故の主たる死因について「隊員個人の健康状態によるものか、それとも訓練内容に起因するものなのか」と質したところ、「教育訓練の内容それ自体のみが直接の原因となったとされたものはない」と、頓珍漢な答弁を返してきた。

 ふざけるんじゃない!と、思わず叫びたくなる。やはり、自衛隊員の命は「鴻毛より軽い」扱いなのか、と怒りを禁じ得ない。(私の質問主意書と政府答弁書は、衆議院のホームページで検索・閲覧できる)
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a186252.htm

自衛隊の教育訓練に係る隊員の死亡事故等に関する質問主意書

 7月6日付の東京新聞には、私の質問主意書で明らかになった自衛隊員の教育訓練中の死亡事故が1面トップ記事で報じられている。

 記事中、元自衛官で軍事評論家の小西誠氏が次のように論評している。少し長いが全文引用する。

 「持久走中の死亡事故が頻発している点から、倒れた場合の基本的な救命措置が十分でないことがうかがえる。救命知識のある消防士の3倍にも上るのは、現場の指揮官に医学的な知識が足りないことを表している。

 自分も経験し、今も多くの相談を受けているが、現場は根性論を強調する雰囲気が強い。精神を鍛えるとして、肉体の限界を度外視した訓練が行われやすい。旧軍の精神主義は今も引き継がれている。集団的自衛権の行使容認で、訓練よりも実戦化される。自衛隊が精神主義を引きずったまま戦争に向き合うとすれば、恐ろしいことだ」―と。

 すでに防衛省では、集団的自衛権の行使容認で「現実的に海外派遣時の戦死に関して考える段階に来ている」として、「戦死」についての扱いをどうするか、検討が始まっているという。

 陸上自衛隊では、隊員の死をいかに崇高な「戦死」として扱うかという計画案作りにも着手した、とも報じられている。(7月10日付沖縄タイムス)

 普段の教育訓練時も、海外派遣時も、ましてや集団的自衛権行使容認に伴うアメリカとの共同戦闘中であれ、自衛隊員の命を「鴻毛の軽さ」に扱うことは断じて許されない。

 

(2014年7月11日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

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