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憲法コラム

第163回(7月3日):照屋寛徳 議員

安倍内閣による憲法クーデター決起

【写真】首相官邸ホームページ http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201407/01kaiken.html

安倍内閣による憲法クーデター決起

 2014年7月1日、この日は長く歴史の記憶に残るであろう。

 この日、安倍内閣は与党合意を経て、集団的自衛権行使容認(解釈改憲)の閣議決定をしたのだ。閣議決定により、憲法9条の実質無効化を宣言し、平和主義を破壊して、立憲主義を否定する憲法クーデターを決行したのである。

 安倍総理は、憲法クーデターの決起にあたって“檄”を撒き散らし、NHK総合テレビの電波を占拠して声明を発表した。

 安倍内閣が作成した憲法クーデター決起の“檄”は、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」を題する文書におどろおどろしく綴られていた。撒き散らされた“檄”を子細に読み込むと、その内容は嘘と欺瞞に満ちた言葉を羅列したものであった。

 占拠したNHK総合テレビを通じ、憲法クーデターを発表する安倍総理は、高揚した気分で得意満面に見えた。だが、私をはじめ多くの国民は、反発と怒りで苦々しく思ったに違いない。

 この安倍内閣の憲法クーデター決起をもって、日本は「平和国家」から「戦争国家」へと転換する。国際社会からは、アメリカに従属する「好戦国家」と名指しされ、嫌悪されるであろうことは間違いない。

 安倍内閣による憲法クーデター決起の予兆は、この間幾度となくあった。

 最初は2013年、安倍総理が憲法96条の「先行改憲」を唱えた時である。その際は、憲法学者の小林節氏(現慶応大名誉教授)から姑息な「裏口入学」と批判され、咄嗟に「潜行改憲」へと鳴りを潜めた。

 次は、「安保法制懇」報告書提出前の今年3月ごろから、高村正彦自民党副総裁が突如として唱え始めた1959年の砂川事件最高裁判決を根拠とする解釈改憲論だった。

 この高村説に対しては、自民党議員のほぼ全員が賛成したが、憲法クーデター決起の一翼を担う公明党が強い懸念と難色を示し、クーデター部隊内の足並みは揃わなかった。多くの憲法・政治学者らから「砂川事件最高裁判決は個別的自衛権を認めたにすぎない」との批判もあった。

 私などNHK「日曜討論」で、一緒に出演した高村氏の面前で「砂川事件最高裁判決を縦から、横から、斜めから読んでも集団的自衛権を認めたものではない」と真っ向から批判し、痛罵したものだ。その結果、高村説はいつの間にか雲散霧消した。

 安倍内閣と自民党の解釈改憲への執念と憲法クーデター決起への決意は、凄まじかった。7月1日の閣議決定では、1972年の政府見解を持ち出してきて、憲法クーデター決起の正当性をアピールした。

 1972年10月14日、参議院決算委員会に「集団的自衛権と憲法の関係」と題する政府資料が提出された。俗にいう1972年政府見解である。

 1972年政府見解は、大要次のように記述する。

 「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される急迫の事態」では「必要最小限度の範囲」の自衛の措置が認められるが、他国への武力攻撃の阻止をその内容とする集団的自衛権行使は「憲法上許されない」―と。

 集団的自衛権の行使は「憲法上認められない」と結論付けている政府見解を行使容認の根拠にする真逆の論理である。そのような憲法クーデター決起の論理に正当性があろうはずはない。強い批判が膨湃(ぼうはい)と渦巻いていることも頷ける。当然だ!

 7月1日の閣議決定では、従来の政府見解である武力行使の3要件で、「我が国に対する急迫不正の侵害」がある場合にのみ、個別的自衛権の行使しか認められなかったものを、次のような武力行使の新3要件に捻じ曲げて、集団的自衛権発動の根拠としてしまった。

 1.我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、

 2.これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、

 3.必要最小限度の実力を行使することは(中略)憲法上許容される―と。

 安倍総理は、憲法クーデター決起の記者会見で、集団的自衛権発動の新3要件は、従来の個別的自衛権発動の3要件と「基本的な考え方はほとんど変わっていない、表現もほとんど変わっていない」と詭弁を弄した。

 とんでもない。これまでの憲法解釈では「我が国への急迫不正の侵害があること」との明確かつ厳格な基準があったが、新3要件では「明白な危険」と抽象的で、国民への具体的な説明もない。要するに、日本が攻撃されていなくても他国の戦争に参加し、自衛官が人を殺し、殺されることを認めたのだ。時の政権の恣意的判断で、国民が戦禍に巻き込まれる恐れは必至である。

 このように、現行憲法9条が戦力の不保持と交戦権の否認を明定している中で、姑息な議論、密室による与党協議を尽くしても、論理の正当性を持ち得るはずもない。にもかかわらず、憲法破壊のクーデター決起に行き着いたのである。

 私は本日のコラムで、あえて安倍内閣による憲法クーデター「決起」と表現した。その理由は、クーデターは未だ完遂されず、成功していないと思うからである。

 7月1日の“檄”や過去の安倍総理の言動に照らすと、クーデターの最終目標は現行憲法を「破壊」(壊憲)し、「国防軍」を有する天皇主権の自主憲法を制定することである。その意味で、クーデターは未だ「決起」の段階だ。

 したがって、安倍内閣のクーデター決起に反対する全ての国民が、小異を残しつつも大同につき、共に声を挙げ、創造的な運動を緊急に構築して粘り強く闘えば、クーデターを未遂のままに終わらせることは可能である。

 私は、平和と民主主義を愛する多くの国民と共に、安倍クーデター部隊と対峙し、最後まで闘い抜くつもりだ。

(2014年7月3日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

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