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憲法コラム

第162回(6月26日):照屋寛徳 議員

「国体護持」の捨て石にされた沖縄戦の悲劇

【写真】6月23日「慰霊の日」、義父の名が刻まれた礎の前で、孫たちと一緒に

照屋寛徳

 去る6月23日は、太平洋戦争末期の悲惨な沖縄戦における旧日本軍の組織的戦闘が終結して69年目の「慰霊の日」であった。旧日本軍の組織的戦闘が終結したのは6月22日である、との説もある。また、旧日本軍は6月23日以降も散発的に戦闘行為を繰り返したり、ウチナーンチュや強制連行した朝鮮人を虐殺した、との戦史を読んだ記憶も新しい。

 あの悲惨な沖縄戦で20万余の尊い命が失われた(奪われた!というべきか)。

 しかも、沖縄戦では軍人よりも民間人の犠牲者が圧倒的に多い。沖縄戦の実相の一つに、「軍民混在の戦場」が挙げられるが、軍人よりも民間人の犠牲者が多いのは、その何よりの証左であろう。そのうえ、旧日本軍は、壕やガマ(自然の洞窟や自然壕)に避難した住民を砲煙弾雨の中に追い出して、自分達が隠れたのである。

 やむなく、住民らは亀甲墓や門中墓に避難し、私と同じ昭和20年生の中には、お墓の中で生まれた者もいる。本島北部に避難する途中の馬小屋、山羊小屋で誕生した同年生も数多い。それらの事実をもって、沖縄戦の実相の一つである、いや、戦争の本質というべきか、「軍隊は住民を守らない」ことが明白となろう。

 69年前のイクサ(戦争)の実相を短い言葉で語り尽くすのは困難である。何年たっても不可能かも知れない。かろうじて生き残った者の中には、未だにあのイクサの体験と記憶を胸深く封印し、語る辛さに苦悩している方々が多いからである。心的外傷後ストレス障害(PTSD)で苦しむ方々もいらっしゃる。

 「鉄の暴風」「ありったけの地獄を集めたような戦争」「集団自決(強制集団死)」「島くとぅば(沖縄の方言)を使用しただけでスパイ視して虐殺」など、悲惨な沖縄戦は結局

 「国体護持」のための捨て石であった、と多くの沖縄戦研究者が語っている。これが沖縄戦の真実である。

 なお、沖縄は40余りの有人離島から成る島嶼県であるが、沖縄戦では旧日本軍の軍事施設がある島や旧日本軍が駐屯する島だけがアメリカの攻撃に遭い、甚大な被害を受けている。これも沖縄戦(イクサ)の真実だ。軍隊や軍備の強化で平和が構築できる、との主張は沖縄戦(イクサ)の真実に反する真っ赤な嘘だ、と思う。

 さて、69年目の慰霊の日に「平成26年 沖縄全戦没者追悼式」が挙行された。私も式典に参加し、全ての戦没者に哀悼の誠を捧げ、不戦の誓いを新たにした。

 今年の式典には、安倍総理や外務・防衛の4大臣、衆参両院議長、ケネディ駐日米大使らが参列した。

 私自身のここ20数年の「慰霊の日」には、朝早くに家を出て、追悼式に参加する前に平和の礎に刻銘された義父に会いに行き、家族の一年の歩みを報告のうえ、ご加護をお願いし、沖縄と世界の恒久平和を祈っている。今年は、初めて長男一家と二男も参加し、親子3代の鎮魂の日となった。小4、小2、2歳の孫らにとっては、平和の礎に刻銘された義父(ひいおじいさん)との会話なき初対面であった。

 ところで、安倍総理は、全戦没者追悼式でのあいさつの中で、沖縄に集中する米軍基地に関し、「沖縄の方々の気持ちに寄り添い、できることは全て行う」と述べ、基地負担軽減に全力を尽くす姿勢を示した。

 だが、式典参列者の多くの遺族らは、安倍総理のあいさつを苦々しい思いで聞いたに違いない。安倍総理のあいさつ中、式典会場は静寂に包まれていたが、場外からは「集団的自衛権反対」「戦争やめろ」「帰れ!」の怒声も聞こえてきた。

 私も内心では、普天間基地の辺野古移設を強行し、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認の閣議決定を急いで、憲法9条と平和主義を破壊せんと躍起になっている人が、よくも「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」などと「正直な嘘」を平気でつくものだ、と思った。

 残念ながら安倍総理のあいさつには、沖縄戦の実相と教訓から学び、不戦の誓いを立てる、との思いは微塵も感じられなかった。白々しく、むなしく響く、無内容な官僚作成の作文朗読であった。まさに「感じ悲しむ能力の欠如」だ。

 それに比べると、公募で選ばれた石垣市立真喜良小学校3年の増田健琉(たける)君の平和の詩「空はつながっている」の朗読が万感胸に迫るものがあった。少し長いが全文紹介する。請う、熟読玩味を!

 

空はつながっている
石垣市立真喜良小学校3年 増田健琉(たける)

ぼくのお気に入りの場所
みどり色のしばふに
ごろんとねころぶと
そよそよとふく風がぼくをやさしくなでる
遠くでひびくアカショウビンの鳴き声
目の前ではお母さんやぎがやさしい目で
子やぎたちを見まもっている
青あおと広がるやさしい空

でも
遠くの空の下では
今でもせんそうをしている国があるんだって
ばくだんが次つぎとおとされ
なきさけびにげまわる人たち
学校にも行けない
友だちにも会えない
家族もばらばら
はい色のかなしい空

空はつながっているのに
どうしてかな
どこまでが平和で
どこからがせんそうなんだろう
どうしたら
せんそうのない
どこまでも続く青い空になれるのかな

せんそうは国と国のけんか
ぼくがお兄ちゃんと仲良くして
友だちみんなともきょう力して
お父さんとお母さんの言う事をきいて
先生の教えをしっかりまもる
そうしたら
せんそうがなくなるのかな
えがおとえがおが
遠くの空までつながるのかな
やさしい気もちが
平和の心が
丸い地球を
ぐるっと一周できるかな

まだ子どものぼく
いのる事しかできない
どうか
せかい中の子どもたちみんなが
学校に行けますように
友だちとあそべますように
にこにこわらって
家族でごはんが食べれますように
夜になったら
すてきなゆめが見れますように
しあわせでありますように
いつか友だちになれますように

白い雲
ぼくの平和のねがいをのせて
この地球をぐるっとまわって
青い空にそめてきて

きっと
せかいは手をつなぎ合える
青い空の下で話し合える
えがおとえがおでわかり合える
思いやりの心でつうじ合える
分け合う心でいたわり合える
平和をねがう心で地球はうるおえる

だから
ここに
こんなにきれいな花がさくんだ
だから
こんなに
ぼくの上に
青い空が広がっているんだ

(2014年6月26日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

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