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憲法コラム

第157回(5月24日):照屋寛徳 議員

三つの「5・15」を考える

【画像】「5・15平和行進」2日目”東コース”で共に歩く(5月17日)=左=、安保法制懇報告書を受け会見する安倍総理(5月15日)=右=

砂川事件を担当した松本一郎・元裁判官(4月29日付沖縄タイムス1面)

 何とも奇妙で、かつ、謎めいた、それでいておどろおどろしい表現のコラム標題になってしまった。

 この場合の「5・15」とは、言うまでもなく5月15日のことを指す。これから書き連ねる三つの5・15に、直接的な関連性はない。5月15日に起こった三つの歴史的な事実(事件)を通して、政党政治、沖縄、憲法を私なりに考えてみただけである。

 一つ目の5・15は、1932年(昭和7年)5月15日に発生した大日本帝国海軍青年将校らが引き起こしたクーデター・テロ事件である。はるか82年前の出来事だ。

 この日、武装した海軍将校、陸軍士官学校生徒18人が4班に分かれ、総理官邸、警視庁、政友会本部などを襲撃し、総理官邸では「話せばわかる」と制止する犬養毅首相を「問答無用」と言って拳銃で射殺した事件である。

 私は、5・15クーデター・テロ事件の背景、計画、評価を詳しく知っているわけでもない。5・15事件関連の文献を読むと、犬養首相は即死ではなく、しばらく息があり、すぐに駆け付けた女中のテルに「今の若い者をもう一度呼んで来い、よく話をして聞かせる」と強い口調で語ったというが、次第に衰弱し、深夜になって死亡したようだ(フリー百科事典「ウィキペディア」の「五・一五事件」の項)。

 5・15クーデター・テロ事件で発したとされる犬養首相の「話せばわかる」、「問答無用、撃て!」のやり取りは有名だが、元海軍中尉山岸宏の次のような回想があり、真実のようだ。

 「『まあ待て。まあ待て。話せばわかる。話せばわかるじゃないか』と犬養首相は何度も言いましたよ。若い私たちは興奮状態です。『問答いらぬ。撃て。撃て』と言ったんです」

 元海軍中尉三上卓も裁判で次のように証言している。

 「……その瞬間山岸が『問答いらぬ。撃て。撃て』と叫んだ。黒岩が飛び込んできて一発撃った。私も拳銃を首相の右こめかみにこらし引き金を引いた。するとこめかみに小さな穴があき血が流れるのを目撃した」(前掲フリー百科事典「ウィキペディア」)

 当時の日本は、ようやく議会制民主主義が根付き始めていた。ところが、1929年(昭和4年)の世界恐慌に端を発した大不況で企業倒産、大量失業が相次ぎ、社会不安が増大し、多くの国民の間に政党不信、反財閥感情が広がっていたのである。

 1931年(昭和6年)9月には関東軍が満州事変を引き起こし、1932年2月には血盟団事件が起こっている。

 結論を急ぐと、5・15クーデター・テロ事件を機に時の軍部は政党内閣の排斥を迫り、海軍大将だった斎藤実を首班とする「挙国一致内閣」が誕生し、8年間続いたいわゆる「政党内閣制」は崩壊した。

 二つ目の5・15は、1972年5月15日沖縄の本土「復帰」である。この日、27年に及ぶアメリカの軍事支配下で「無憲法」下に放置されていた沖縄は、求め続け、闘い続けた日本国憲法の下に「復帰」した。だが、同時に日米安保条約も沖縄に適用されるようになり、今日まで「反憲法」下に放置されている。

 復帰42年目を迎えた今年も5・15本土「復帰」記念日を中心に様々な集会、行動があった。

 例年5月15日を中心に沖縄平和運動センター、平和フォーラムが共催し、「5・15平和行進」が3日間、三コースに分かれて「基地の島」沖縄を網の目行進する。今年も全国から延べ5,000人が参加し、炎天下を、ときに梅雨の大雨にうたれながら歩き通した。私も東コース2日目の出発式に激励に行き、短い距離を共に歩いた。

 今年の5・15平和行進団の特徴は、電動車イス、ベビーカーを押しながらの家族ぐるみ、多くの若者達の参加であった。それに「辺野古新基地建設反対、オスプレイ撤去、集団的自衛権行使容認反対、改憲反対」の手づくりゼッケン着用などが目立った。

 5月18日の「5・15平和と暮らしを守る県民大会」も大雨の中開催され、海外を含む2,000人余の大会参加者が沖縄の反戦反基地の運動に連帯し、憲法改悪を許さない創造的運動構築を誓い合った。

 安倍内閣が「復帰」42年目を迎えた沖縄に向き合う態度はどうか?はっきり言う。安倍内閣は、沖縄への構造的差別、基地の負担と犠牲の強要をやっている。140万余の県民の声に耳を傾けようとしない。名護市長選挙で表明された民意も無視だ。まるで「問答無用」とばかりに国策を押しつけている。その姿は、1932年5月15日の大日本帝国海軍将校らの5・15クーデター・テロを想わせる。

 三つ目は、2014年5月15日の「安保法制懇」報告書とそれを受けての安倍総理の「基本的方向性」を示す記者会見である。

 5・15クーデター・テロ事件から82年目、沖縄の本土「復帰」から42年目の今年5月15日に「安保法制懇」報告書が提出され、安倍総理の「基本的方向性」表明により、この国は「戦争できる国」へと転換する。立憲主義を無視し、憲法9条を実質的に無効化し、憲法の平和主義をかなぐり捨て、「戦争国家」への歩みを始めようとしているのだ。

 1932年5月15日の大日本帝国海軍将校らのクーデター・テロ事件を契機に、軍部が台頭し、政党内閣制が崩壊し、戦争の世紀に軍国主義を煽動し、結果、敗戦により国が滅びたのを忘れたかのように愚かな歴史を繰り返さんとしている、としか私には思えない。

 沖縄は69年前の沖縄戦で、国体護持のための捨て石にされ、20万余の尊い命が奪われた。そして悲惨な沖縄戦に続く米軍支配下でウチナーンチュの尊厳も命も奪われ続けた。もし、「安保法制懇」報告書や安倍総理の「基本的方向性」表明のとおり、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認(解釈改憲)が実行されると、膨大な米軍基地が存在する沖縄が真っ先に戦場となり、ウチナーンチュは「標的」にされるであろう。

 そのようなことを許すわけにはいかない。政治家の一番大きな使命は、戦争を起こさせないことである、と自負している。

 今や安倍総理こそが“脅威”になってきた。

(2014年5月24日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

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