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憲法コラム

第151回(4月3日):照屋寛徳 議員

自民党の集団的自衛権行使「限定容認論」批判序説

【写真】「集団的自衛権の行使に反対する社民党街頭宣伝」(4月2日、東京・渋谷駅ハチ公前)

自民党の集団的自衛権行使「限定容認論」批判序説

 ここ数日来、自民党内で集団的自衛権行使「限定容認論」がにわかに高まり、広がっている。

 自民党は、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認(解釈改憲)に向けて、安倍総理直属の安全保障法制整備推進本部(本部長・石破茂幹事長)を設置した。前記「限定容認論」は、同安保推進本部の初会合で講演した高村正彦副総裁の説を基本にしたものである。

 去る4月1日付の朝刊各紙は、「自民、限定容認異論出ず」(毎日新聞)、「自民 限定容認論が大勢」「高村氏の話に納得」(読売新聞)、「砂川事件基に合憲主張」(東京新聞)などの見出しを付し、自民党の安保推進本部で「限定容認論」を前提に、具体的な行使の範囲などをめぐる論議が本格化する見通しだ、と報じている。

 どうやら、先の自民党総務懇談会で集団的自衛権行使容認に反対や慎重論を表明した者は、「限定容認論」の前に早々と屈服した感がある。

 高村正彦副総裁が主張した「限定容認論」は、各マスコミ報道によれば、次のようなものだ。

 高村氏は、砂川事件の最高裁判所判決(1959年12月16日)を根拠に、「集団的自衛権の一部は最高裁に容認されている」との考えを示し、「必要最小限の集団的自衛権ならできる」「『必要最小限度』には集団的自衛権の範囲に入るものもある。個別的自衛権はいいが、集団的自衛権はダメと、内閣法制局が十把一からげに言っているのは間違いだ」と批判し、限定すれば集団的自衛権行使は合憲との説のようである。

 私は、憲法解釈の変更による集団的行使容認(解釈改憲)に一貫して反対してきた。高村氏が主張する「限定容認論」も間違っていると考えている。同時に、自民党安保推進本部で高村氏の講演を聞いて、自民党内の反対論、慎重論が沈黙し、「限定容認論」に異論が出なかった事を憂えている。

 そもそも、高村氏が主張する砂川事件の最高裁判決は、「必要最小限の集団的自衛権行使は可能であり。限定すれば行使は合憲だ」と判示したのではない。

 砂川事件の最高裁判決は、「憲法はわが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするための自衛の措置をとることを禁止しているか」との争点の関連で、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であって、憲法は何らこれを禁止するものではない」と判示しているに過ぎない。

 砂川事件の最高裁判決を縦から読んでも、横から読んでも、高村氏が述べるように憲法が集団的自衛権行使を限定的に容認した、とは考えられない。砂川事件では集団的自衛権が争点ではなかった。砂川事件の最高裁判決は、個別的自衛権は認めたが、集団的自衛権までは認めていない、と理解するのが通説だと信ずる。

 その証拠に歴代政府は、砂川事件の最高裁判決後も一貫して、「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権否認の憲法9条の下では、集団的自衛権行使までは到底認められない」と政府答弁書や総理答弁で表明してきたのだ。

 高村氏の講演での「限定容認論」を受けて、公明党の北側一雄副代表は「当時は、日本の個別的自衛権の有無が議論されていた時代。砂川事件を基に、集団的自衛権の一部を容認するのは少し飛躍がある」と反論している(4月1日付東京新聞)。

 公明党の山口那津男代表も、高村氏の主張について「判決(砂川事件の最高裁判決)は個別的自衛権を認めたものと理解している。集団的自衛権を視野に入れて出されたと思っていない」と否定的考えを示した。そのうえで山口代表は、集団的自衛権の行使を禁ずる政府見解が1981年に確立したことを挙げ、「政府も砂川事件は個別的自衛権を認めたものと評価してきたのではないか」と指摘したようだ(4月2日付東京新聞)。

 私は、公明党山口代表や北川副代表の反論・指摘の方が正しい、と評価する。

 神奈川大学法科大学院の阿部浩己教授(国際法)も、高村氏の主張に対し「砂川事件判決で最高裁判決が言及した『必要な自衛措置』は、日本の安全保障を米国に委ねることは認めているが、日本の軍事力を他国のために行使することで、日本の安全が守られるとまでは言っていない。高村氏の議論は、無理なこじつけが過ぎる」との談話を寄せている(4月1日付東京新聞)。

 全くその通りだと思う。高村氏の主張には論理の飛躍があり、こじつけが過ぎる、と言わざるを得ない。

 さて、安倍総理の私的懇談会である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は今月中にも報告書を出す。報告書の提出を受けて、閣議決定で集団的自衛権行使を禁じた憲法解釈の変更に安倍総理が踏み切るのは間違いなかろう。

 だが、集団的自衛権行使は、憲法解釈の変更という閣議決定で決めて良いものではない。ことは、わが国の針路を決める重大な問題だ。「安保法制懇」は14人全員が集団的自衛権の行使容認派で占めており、憲法学者は一人だけだ。あとは安倍総理に近い元外交官や財界人である。「安保法制懇」の報告書など読む前から結論が想定可能な代物だ。

 元内閣法制局長官の宮崎礼壹氏は、「限定容認論」と関連し、次のように述べている。

 「報道によると、政府内では憲法解釈の変更に理解を得やすくするよう、集団的自衛権を丸ごと容認するのでなく部分的に解禁しようという案が検討されているようです。

 しかし、集団的自衛権の問題は『我が国が直接武力攻撃されているわけでもないのに、他国の防衛のため武力行使をしてよいのか』という問題であって、どこかに線を引いて『ここまでは合憲、これを越えたら違憲』とできるような性質の問題ではありません」(3月31日付毎日新聞夕刊)。

 自民党高村氏の集団的自衛権行使「限定容認論」にこれ以上の反論は必要なかろう。

(2014年4月3日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

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