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憲法コラム

第150回(3月26日):照屋寛徳 議員

『天皇と日本国憲法――反戦と抵抗のための文化論』を読む

『天皇と日本国憲法――反戦と抵抗のための文化論』を読む

  なかにし礼著『天皇と日本国憲法――反戦と抵抗のための文化論』(毎日新聞社)を読んだ。すばらしい本だ。間違いなく名著である。是非、多くの人に読んでもらいたい。

 著者のなかにし礼氏は、有名な作詩家であり、作曲家である。同時に、『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞した作家でもある。

 私は、同氏の作品では『長崎ぶらぶら節』、『兄弟』しか読んでないなーと思ったが、もう1冊あったことを思い出した。なかにし礼氏が、ステージ2から3の食道がんを陽子線治療により完全に克服し、余命半年の宣告から見事に生還した体験記である『生きる力――心でがんに克つ』(講談社)も感動の涙とともに読み通している。

 著書の『天皇と日本国憲法――反戦と抵抗のための文化論』は、本の題名からすると難解な印象を受ける。ところが、直木賞作家であり、わが国を代表する作詩家・作曲家による著書は、大変にわかりやすく、引用している文献も豊富かつ的確であり、浅学非才のわが身を恥じるばかりであった。圧倒的な読みごたえを得た。

 著書の表紙カバー帯には、「日本国憲法は世界に誇る芸術作品である。人間を尊重し、戦争に反対する。美しい理想を胸に、いま、生まれ変わるとき。」と刷り込まれている。

 もともと前記著書は、『サンデー毎日』に連載された「花咲く大地に接吻を」を再編集、加筆修正したものである。私自身、「花咲く大地に接吻を」連載中に読んだ「『保守の知恵』とは何か?」「秘密保護法はクーデターである」「リメンバー ヒロシマ・ナガサキ」「『沖縄ノート』と『さとうきび畑』」など、本書所収の何篇かのエッセーを思い出した。

 だが、一巻の本にまとめられたのを読むと、著者の気迫と明解な論理、未来を拓く情熱が迸(ほとばし)るのである。

 さてさて、本書に基づき「なかにし礼の憲法論」について考察してみよう。

 著者は、本書の「天皇と日本国憲法」の中で、坂口安吾の『もう軍備はいらない』の一節「人に無理強いされた憲法だと云うが、拙者は戦争はいたしません、というのはこの一条に限って全く世界一の憲法さ。戦争はキ印かバカがするものに決まっているのだ」を引用し、「私は憲法改正という名の改悪に反対である」と喝破する。全く同感だ。憲法改正ではなく改悪なのだ。

 著者は、改憲論者たちのやり口に、「騙されてはいけない。改憲派の狙いはただ一つ、第9条の形骸化である」と鋭く指摘をする。

 最近、安倍内閣と自民党その他の改憲補完勢力が、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認(解釈改憲)へと暴走することに対しても、次のように批判する。

 「彼ら(改憲派すなわち戦争推進派)は言う。今の憲法はいかにも古い。もはや時代に即さない、と。何をぬかす。日本国憲法は高邁(まい)なのである。『人類普遍の原理と理想』がそう易々と現実に即すはずがないではないか。即さないものを即すようにすることが理想の追求という行為なのだ」

 「このままでは国際貢献ができないとも言うが、彼らの言う国際とはアメリカ一国のことである。集団的自衛権行使の名のもとにアメリカ軍の支配下に入り、地球のあちこちで戦争に参加し、人を殺し、殺されたいのだ。つまり戦争がしたいのである。ますますの隷属化であり属国化である」――と。

 表現は違うが、私も憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認(解釈改憲)は、日米軍事一体化の下で、アメリカ軍と一緒に「地球の裏側」まで出かけて自衛隊(改憲後は国防軍)が戦争をすることだ、と一貫して批判してきた。

 著者は、憲法99条の憲法尊重擁護義務に触れ、改憲派国会議員たちに「あなたたちは、国会議員としての義務違反をしているのではないか。つまり憲法違反を犯しているのであり、それは国民に対する最大の裏切り行為である」と手厳しい。「憲法を守る気がないのであるなら、さっさとバッジをはずしなさい」とも言う。

 その通りだ。自民党「日本国憲法改正草案」では、国民に憲法尊重擁護義務を課しているのだ。実にアベコベ、逆立ちした誤謬の論理である。

 著書は、立憲主義と国民主権について、改憲派議員らに次のように呼びかける。

 「そもそも憲法とは、権力を縛り国政を行う人たちの権限を制限するためにあるものである。ゆえにあなたがたにとって不自由は当然なのである。権力は疑うべし、なのだ。権力制限の論理が近代憲法の基本理念である。そしてその憲法の主権者は国民であることを忘れてもらっては困る」――と。

 なかにし礼さん、改憲派の国会議員たちにあなたの忠告など届かないだろうと思う。何故なら彼らは「国民主権」を「国会議員主権」と履き違え、信じ込んでいるからである。

 最後に、著者は「現行憲法は占領軍から押しつけられた憲法である。だから、改憲のうえ自主憲法を制定するのだ」との主張に、「日本国憲法には昭和天皇の御名御璽(ぎょめいぎょじ)があるのですぞ」「私は日本国憲法に付された天皇陛下のお言葉の中にその時の陛下のお気持ちが実に素直に正確に表現されていると思えてならない」と述べ、次のように結んでいる。

 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

 御名御璽

  昭和21年11月3日 

著者は、「昭和天皇は平和憲法の制定を国民とともに『深くよろこび』とし、国民もまた干(かん)天の慈雨のごとくに尊んだのだ」と、本書の天皇と日本国憲法の一文を終わっている。

 「朕は国家なり」「朕は憲法なり」の思想を持つ、改憲派筆頭の安倍総理になかにし礼さんの言葉は届くんだろうか。馬耳東風、届かんだろうな!

(2014年3月26日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

 

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