HOME特集>憲法コラム>140.照屋寛徳

特集

憲法コラム

第140回(1月6日):照屋寛徳 議員

軍馬生産のため沖縄在来馬を滅ぼした「馬匹去勢法」

馬匹去勢法

 2014年(平成26年)の初春も明けた。

 今年は、十二支の第七、干支は午(馬)である。馬は、アジア・ヨーロッパの原産で、古くから乗用・農耕・使役・軍用として家畜化されたようだ。沖縄在来馬のルーツは、蒙古馬だと言われている。

 沖縄に鉄道が敷設されたのは、1914年(大正3年)。それ以前の沖縄では遠隔地への客馬車・荷馬車に馬が利用されるなど、陸地の輸送に大きな役割を果たした。馬は農耕や農産物の運搬にも欠かせなかった。

 幼少の頃、サトウキビを積んで馬車で製糖工場へ運搬していた風景を記憶している。サトウキビ運搬の馬車を見つけると、私を含むウーマクワラバー(腕白)達が後を追い駆ける。馬車の手綱を引くオッサンの眼を盗んでサトウキビを引き抜き、顎が疲れるまで齧っていた。

 年の始めにあたり、干支の午(馬)にちなんで、琉球(沖縄)と馬、戦争と軍馬に関する文献や資料を集中的に読んでみた。

 「何を寝惚けたことを言うんだ。戦争と馬に関係があるはずはない!」などと、怒らないで最後までお読み頂きたい。

 先ず、1901年、軍馬生産を目的に「馬匹去勢法」(明治34年法律22号)が制定されたことを初めて知った。同法の沖縄本島、宮古島への適用は、1917年(大正6年)である。「馬匹去勢法」でもって沖縄在来種の牡はすべて去勢され、在来牝馬には国が指定し、ヤマトから輸入された大型種牡馬を交配に使うことが強制されたのである。沖縄在来馬の産地宮古島では、猛反対運動により、1922年(大正11年)陸軍省は「馬匹去勢法」の適用外とした。

 第一次世界大戦(1914年〜1918年)以降の軍馬の需要拡大で、「馬匹去勢法」「軍馬資源保護法」などの悪法が次々に沖縄に適用されたのであろう。

 次に、琉球王朝時代から沖縄戦直前まで約500年間にわたり、琉球競馬「ンマハラシー」(馬走らせ)があったようだ。琉球競馬「ンマハラシー」はウチナーグチで「ウマスーブ」(馬勝負)とも呼ばれ、現代のヤマト競馬と異なり、速さで勝負を決めるのではなく、その脚の運びのリズムや馬の姿勢の美しさ・優雅さという美技を競うものである。

 「ンマハラシー」に参加できる馬は、全て体高1m20cm以下の沖縄在来馬で、品種改良し、大きくなった雑種は出場できなかった。従って、琉球王朝以来の伝統文化である「ンマハラシー」も「馬匹去勢法」による軍馬生産という国策によって、1943年に途絶えてしまう運命に追い込まれた。誠に残念だ。(梅崎晴光著『消えた琉球競馬』ボーダーインク)

 だが、いかなる国策にも屈しないのが、ウチナーンチュの強かさである。2013年3月、沖縄市の動物園「沖縄こどもの国」で、70年ぶりに琉球競馬「ンマハラシー」の競技が復活したのである。その時の騎手の乗馬服や馬の装飾布には、沖縄市の伝統織物である「知花花織」が使われた、との報道に接し深い感動を受けた。

 ところで、琉球競馬「ンマハラシー」では、全力疾走(ムルカキバイ)すると「ヤマト走り」と笑いものにされたらしい。「ンマハラシー」における「ヤマト走り」(ムルカキバイ)どころか、軍馬の如く改憲へ疾走するのが安倍総理、安倍内閣の本性ではないかと訝(いぶか)しく思っている。

 かつての中曽根康弘元総理は「戦後政治の総決算」を掲げたが、安倍総理は更に大きく踏み出して「戦後レジームからの脱却」を政策課題の中心に掲げている。安倍総理の「戦後レジームからの脱却」の最終目標は、平和憲法の理念を全否定し、自民党「日本国憲法改正草案」に基づく、天皇を元首と戴き、国防軍を創設し、「戦争ができる強い日本」を取り戻すことである。すなわち「改憲」ならぬ「壊憲」だ。干支が午(馬)の今年、安倍内閣は、「決められない政治」から「決める政治」を、と標榜しながら、改憲へ、壊憲へと疾走し、暴走する予感がしてならない。

 2013年1月28日、「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会実行委員会」、県内41全市町村長、同議会議長らが連署をもって安倍総理に「建白書」を提出した。

 「建白書」には、@普天間基地に強行配備されたオスプレイの配備撤回、嘉手納基地へのCV22オスプレイの配備計画の撤回、A米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること、が「オール沖縄」の願いとしてしたためられていた。

 だが、受忍限度をはるかに超える基地負担の犠牲と強要を拒否し、ウチナーンチュの尊厳を求める必死の叫びは、安倍総理には「馬耳東風」「馬の耳に念仏」で全く無視されたまま拒否されている。

 そのうえに、昨年末には普天間基地の「県外移設」を公約に掲げていた自民党沖縄選出・出身国会議員を離党や除名をちらつかせ、権力と金力で屈服させ、「辺野古容認」に転換させたのである。政権と自民党本部の方針に自民党県連や複数の市長らが同様に公約を裏切った。怒りを通り越して情けない限りだ。

 極めつきは仲井眞弘多知事の醜態である。昨年末の沖縄政策協議会で普天間基地の5年以内の運用停止などを要望しておきながら、安倍総理からの単なる口約束、空手形を信じ、「猿芝居」「茶番劇」を演じて、辺野古埋め立てを承認してしまった。

 仲井眞知事や自民党沖縄選出・出身国会議員らは、安倍総理や自民党本部、その他大勢のヤマト政治家・官僚らが、詭弁を弄して沖縄への構造的差別を権力で押し通すことに負けてウチナーの未来とウチナーンチュの魂を「カネ」で売ってしまったのである。いや、かつての「馬匹去勢法」のように「去勢」されてしまったのだ。

 勝ち誇った安倍総理は、これからも沖縄に対しては「馬を鹿と通す」ことだろう。だが、必ずや「馬脚を露わす」に違いない。

 安倍総理は、干支・午(馬)の新年に「駿馬の如く頑張る」と決意を披歴した。私は、安倍総理が憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認など、改憲への駿馬の疾走を警戒する。私の今年の決意は、強大な日米両政府に対抗して、ウチナーンチュの人間としての尊厳をかけて、「老いたる馬は道を忘れず」の例えに従い、戦争と改憲策動に反対して頑張るつもりだ。

(2014年1月6日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

【出典】梅崎晴光『消えた琉球競馬』ボーダーインク、2012年


HOME特集>憲法コラム>140.照屋寛徳