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憲法コラム

第135回(12月9日):照屋寛徳 議員

石破さん、ボクもテロリストですか?

【写真】各紙の風刺漫画。左から12月3日付東京新聞、同4日付朝日新聞、同7日付毎日新聞

各紙の風刺漫画

 悪法の最たるものというべき特定秘密保護法が、12月6日深夜の参議院本会議で可決され、成立した。怒り心頭だ。ワジワジーしている。悔しい。

 巨大与党は、「数の力」で暴走し、各界各層の多くの国民が、強い疑念を抱き、懸念と反対を表明する中で、国会運営のルールを無視し、衆参でわずか70時間足らずの審議で成立させたのである。国会審議の形骸化どころか国会の“自殺行為”と呼ぶべき暴挙である。

 特定秘密保護法が憲法の三大原理(国民主権、平和主義、基本的人権尊重主義)を破壊し、民主主義の根幹である国民の「知る権利」や報道・取材の自由を奪うものであることは、論をまたない。先に成立した国家安全保障会議創設法(日本版NSC法)と一体である特定秘密保護法の成立によって、わが国は「情報統制国家」「秘密国家」へと国のかたちを変え、戦前の暗黒社会に逆戻りすることになろう。何とも恐ろしい事態を迎えたものだ。

 かかる悪法の特定秘密保護法の成立を推進した自民党・公明党の巨大与党議員、安倍政権の補完勢力の役割に終始し、国民からは「鵺(ぬえ)のような政党」に映ったに違いない日本維新の会、みんなの党議員(但し、造反議員を除く)らは後世において厳しい歴史の審判を受けるであろう。絶対に許せない。国民の皆さんもこれら議員の名前を脳裏に刻んでいて欲しい。

 特定秘密保護法案が参議院で審議中の11月29日付で、自民党石破幹事長が自身のブログで同法案に反対する市民の国会周辺でのデモ活動について、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と批判した。市民の合法的なデモ活動をテロになぞらえて批判したのである。政権政党の幹事長のブログ発信として看過できない、おそまつで非常識な発言だ。

 石破幹事長は、デモをテロと同一視する発言を批判され、12月2日付ブログで、「テロと本質的に変わらない」と記した部分を撤回し、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います」と訂正した。

 石破幹事長は、デモをテロ呼ばわりしたことについて真剣な反省や謝罪もなく、開き直っている。その証拠に訂正したブログでも「整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても民主主義にとって望ましいものです。」と言いながら、「一方で、一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものであるように思います。」と述べている。

 そもそもデモとは、ある特定の意見・主張をもった人々が集まり、集団でそれらの意見や主張を示す行為であり、日本国憲法第21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」との規定に基づく国民の権利である。

 私自身、国会周辺でのデモを何度も目撃し、自ら参加したこともある。地元沖縄では普天間基地ゲート前でのデモ、オスプレイ配備反対のサウンドデモにも加わった。石破さん、そんなボクもテロリストですか?

 それに、国会周辺でのデモは、東京都集会条例に基づき公安委員会に届け出て許可されるなどしており、条例違反があったとは聞かない。また、石破幹事長は「市民の平穏を妨げるような大音量での手法」と批判しているが、これまた「国会議事堂・外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律」の規制範囲内の合法的音量に過ぎない。政権政党の幹事長がそれらの規制法を知らないはずはなく、本音は特定秘密保護法案に反対する国民の必死の叫びを、テロリストの絶叫と悪意をもって批判しているに過ぎない。

 かつて、フランスの哲学者であり歴史家のヴォルテールは、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」と語っている。このヴォルテールの余りにも有名な言葉こそは、憲法が保障する表現の自由、言論の自由の原則に則ったデモ活動の本質を示したものである。

 テロリズムを標榜しテロを行う者をテロリストと一般的に呼んでいる。この場合のテロリズムの定義に関しては、その定義自体が政治的意味合いを含むため、様々な論争があるようだ。

 現在の日本の法制度上、警察庁組織令第39条、自衛隊法第81条の2第1項などにテロリズムの定義がある。自衛隊法第81条の2第1項には「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で多数の人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊する行為」と定義づけている。

 実は、成立した特定秘密保護法第12条2項でもテロリズムの定義については自衛隊法とほぼ同じ内容となっている(但し、特定秘密保護法では、「多数の人を殺傷」が「人を殺傷」に、末尾の「…する行為」が「…するための活動」になっている)。テロリズムの定義について両法の規定は、極めて抽象的であり、曖昧になっている。特定秘密保護法で「特定秘密」に指定される(1)防衛に関する事項、(2)外交に関する事項、(3)特定有害活動(スパイ)防止に関する事項、(4)テロリズムに関する事項の別表に掲げられた4分野23項目は各分野に関する「重要な情報」という規定があり、「行政機関の長」などの恣意的な判断で、「特定秘密」の範囲は、広範で際限のないものになってしまうのだ。

 たしかに特定秘密保護法に賛成した議員も反対した議員も、選挙で選ばれた国民の代表者である。だが、選挙で選んだから全てを白紙委任したのではなく、政治家が誤った政策に暴走した時にはデモという表現の手段で異議をとなえることは、自由である。そのことが国民の権利として保障されてこそ民主主義社会ではないだろうか。デモをテロと批難する石破幹事長の発想は、まさに独裁国家、ファシズムの思想であり、特定秘密保護法の本質を示すものである。特定秘密保護法の廃止を目指して国会内外の闘いを再構築して行く決意を打ち固めよう、いざ共に。

 

(2013年12月9日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)


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