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憲法コラム

第120回(10月15日):照屋寛徳 議員

ヘイトスピーチは「人種差別で違法」との判決考察

照屋寛徳

 去る10月7日、京都地方裁判所は、在日朝鮮人に対する差別をあおるヘイトスピーチに、「人種差別にあたり違法」だとする判決を言い渡した。画期的な判決であり、高く評価したい。

 本件裁判は、原告学校法人京都学園が、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)や「在特会」メンバーら9人の個人を被告にして提起した「街頭宣伝差止め等請求事件」(以下、「京都地裁判決」という)である。

 私は、「京都地裁判決」言渡しの報道に接し、快哉の声を挙げ、この判決が過激化するヘイトスピーチを防ぎ、寛容であるべき日本社会を破滅させるヘイトスピーチをなくす司法判断として定着することを願った。

 早速、新聞各紙報道の「京都地裁判決」要旨や判決文正本コピーを関係者から入手し、精読した。「京都地裁判決」は、その事実認定、法律の適用と評価、証拠の採否など、弁護士生活42年目の私が読んでも、丁寧かつ緻密であり、被告「在特会」らが控訴したようであるが、控訴審で逆転する事はあるまい、との判断に至った。

 「京都地裁判決」は、被告「在特会」は、平成18年12月2日設立され、全国に37の支部を有し、会員が1万2千人を超えた(平成24年頃)と認定している。判示された「在特会」の目的は、「在日問題を広く一般に提起し、在日を特権的に扱う、いわゆる在日特権を無くすこと」であり、「在特会」が問題視する在日朝鮮人の「特権」とは、主に在日朝鮮人に対する特別永住資格や通名制度等を指している。「在特会」には、「七つの約束」と称する綱領と会則を有しており、民事訴訟法29条でいう社団として民事訴訟における当事者能力を有すると認定した。

 さて、本件裁判で争点になったのは、被告らの京都朝鮮初級学校へ赴いての面談強要、授業中の拡声器を使った怒号、批難、誹謗中傷等を叫ぶ示威行動及びそれらの様子をインターネット動画サイトに投稿したこと等の法的評価である。

 「京都地裁判決」は、被告らの活動や示威行動をヘイトスピーチ(憎悪表現)という直接的言葉を使ってないが、その示威行動は、「原告の本件学校における教育業務を妨害するとともに、学校法人としての社会的評価たる名誉・名声を著しく損なう不法行為である」、と断じている。

 「京都地裁判決」は、具体的な事実認定において、被告らの本件示威行動が、「日本社会で在日朝鮮人が日本人その他の外国人と共存することを否定し、さらには『保健所で処分しろ。犬の方が賢い』などとあざけり、在日朝鮮人が犬以下とするものもある。」「朝鮮学校を『卑劣、凶悪』と言い、在日朝鮮人について『ゴキブリ、ウジ虫、朝鮮半島へ帰れ』と言い放っている。」と証拠認定する。その悪口雑言は、去る1月27日、オスプレイ配備反対のオール沖縄の上京要請団に対する「売国奴、ゴキブリ、ウジ虫、日本から出て行け!」の罵声と共通する。ヘイトスピーチは、ウチナーンチュにも向けられているのだ。

 「京都地裁判決」は、結論として争点となった被告らの本件活動や示威行動について、「在日朝鮮人という民族的出身に基づく誹謗であって、在日朝鮮人の平等の立場での人権及び基本的自由の享有を妨げる目的を有するものといえるから、全体として人種差別撤廃条約第1条第1項所定の人種差別に該当するものというほかない。」

 「(被告らの)本権活動に伴う業務妨害と名誉棄損は、民法709条所定の不法行為に該当すると同時に、人種差別に該当する違法性を帯びているということになる。」等と認定し、被告らに合計約1200万円の損害賠償支払いと原告学校法人の半径200メートル以内での街宣活動を禁止する判決を言渡したのである。

 一方、本件裁判において被告らは、「公益を図る目的での表現行為や評論表現での違法性阻却、応酬的言論の法理による免責」等を主張し、抗弁したが、「京都地裁判決」は、「被告らの判示名誉棄損表現が専ら公益を目的でされたのかといえば、そう認定することは非常に困難、自らの違法行為によって反発を招いた事に対する応酬的な悪態も違法性阻却による免責理由にあたらない」、と被告らの主張を退けた。

 私も、憲法第21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する。」との規定は、民主政治における社会的価値が高く、表現の自由は民主主義にとって不可欠の要素であり、基本的人権のなかでも優先的地位があることは認める。

 だが、表現の自由に便乗して違法なヘイトスピーチやレイシズムが許されて良いはずもない。私は、ヘイトスピーチに対する安易な法規制による刑事罰は望まない。権力に表現行動規制の口実を与えてもいけないのだ。そのためにも、差別構造や意識をなくす教育や啓発も大事だろう。一方、「処罰を科すのは民主主義国家の常識」と批判する識者がいることも知っている。

 「京都地裁判決」を受けて前田朗氏(東京造形大教授・刑事人権論)は「ヘイトスピーチは『表現の自由か規制か』というとらえ方をされることが多いが、それは間違っている。差別行為であるヘイトスピーチは言論とは言えず、表現の自由に当たらないことは明らか。そうしたことを社会全体で考えていく必要がある。」と語っている(10月9日付東京新聞)。前田教授の考え方に賛成する。

 ヘイトスピーチ規制のあり方については、当面、先に結成された「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」(のりこえねっと)の設立宣言等を参考に、私も加入した超党派議連の「ヘイトスピーチ研究会」で議員立法の制定を目指すことにしよう。

(2013年10月15日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)


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