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憲法コラム

第106回(9月4日):照屋寛徳 議員

国民の憲法尊重義務と立憲主義

憲法尊重擁護義務・社民党

 今回は、大真面目に国民の憲法尊重義務と立憲主義について考えてみることにした。

 日本国憲法第99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と謳っている。この条文を、縦から読んでも、横から読んでも、国民に憲法尊重義務があるとは書いていない。日本国憲法第99条には国民に憲法を守れとは一切書いていないのである。

 当然だ。憲法の立憲主義は、国民が天皇、国務大臣、政治家らに「お前さんらは憲法を守れよ!」と義務付けて命令しているのである。その厳然たる事実は、立憲主義の憲法の本質であり、好き嫌いに関係なく、誰しもが否定することはできない。

 ところが、自民党の「日本国憲法改正草案」第102条第1項には、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と謳い、国民に憲法尊重義務を課しているのである。

 自民党の改正理由説明によれば、この規定は、飽くまで訓示規定であり、その内容は、「憲法の規定に敬意を払い、その実現に努力する」との意味合いで、具体的な効果がある訳ではありません、と丁寧さを装いつつも慇懃無礼だ。ここには、改憲派憲法学者の小林節教授が鋭く指摘する「自民党改憲派国会議員らの無教養の自由」の論理が貫かれている。(小林節+伊藤真著『自民党憲法改正草案にダメ出しを食らわす!』合同出版)

 一方で、現行日本国憲法第99条で、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と明定しているのに対し、自民党「日本国憲法改正草案」第102条第2項では、天皇及び摂政らの憲法尊重擁護義務を削除している。何故だ?

 この際、はっきり言う。憲法尊重擁護義務があるのは、国会議員や国務大臣(安倍総理、お前さんもだぞ!)などの政治権力者であって、国民ではない。たとえ、訓示規定であっても、国民に憲法尊重擁護義務を課すのは間違いだ。明白に立憲主義を否定するものだと断罪せざるを得ない。

 他方で、「天皇又は摂政」を憲法尊重擁護義務者から削除した理由についても私なりに考えてみた。日本の天皇制国家に遅れてきた臣民としてのウチナーンチュの一人としては、大変に気になるところだからである。勿論、純粋に憲法論的にもだ。

 ここまで考えてきてハタと気づいた。自民党「日本国憲法改正草案」第1条は、「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定し、象徴天皇制から天皇元首化へと改憲を目論んでいる。間違いなく自民党「日本国憲法改正草案」第1条と第102条第1項は密接に関連しているだろう。

 自民党の改憲派国会議員は、天皇に憲法尊重擁護義務を課すのは、畏(おそ)れ多い、天皇は元首として憲法の上位にある存在、憲法を超越する存在だと考えているようだ。要するに、元首たる天皇の神格化であり、その権威を高めて、天皇の政治利用を促進する狙いである事は間違いなかろう。私は、根拠もなく、大袈裟に言っているのではない。自民党「日本国憲法改正草案」前文は、「日本国は、天皇を戴く国家である」と規定しているのが、何よりの証左である。

 自民党「日本国憲法改正草案」は、国民に憲法尊重義務を課すだけではない。その他にも国民に国防義務、日の丸・君が代尊重義務、領土・資源確保義務、公益及び公の秩序服従義務、個人情報不当取得等禁止義務、家族助け合い義務、環境保全義務、地方自治負担分担義務、緊急事態指示服従義務など多くの義務を国民に課している。

 ご承知のように、現行日本国憲法には国民の三大義務が定められている。「子どもに普通教育を受けさせる義務」、「勤労の義務」、「納税の義務」である。ところがどっこい、自民党が目論む憲法改悪が実現すると、国民の三大義務どころか十大義務、いや、国民に対する義務規定のオンパレードとなる。「ナー、イチデージ」(一大事だ)。

 私が「護憲」の立場で、「壊憲」に反対する主な理由の一つが、「国民の憲法尊重義務」の規定新設である。

 

(2013年9月4日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)


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