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憲法コラム

第105回(9月2日):照屋寛徳 議員

戦後沖縄の人権史と天賦人権説

照屋寛徳

 沖縄人権協会が設立されたのは、沖縄が米軍政下にあった1961年4月4日である。沖縄人権協会は、設立から半世紀以上を経た2012年4月4日、『戦後沖縄の人権史・沖縄人権協会半世紀の歩み』(高文研)を発行している。

 私も、弁護士登録後の一時期、沖縄人権協会の理事をつとめていた。今や、沖縄県憲法普及協議会と同様に、会費を支払い、時たま両団体が主催する「憲法講演会」に出席するだけの、不良会員になってしまった。会員の皆さん、活動を支えられず、申し訳ない。ご免なさい。

  ここで、今や歴史的文書となった沖縄人権協会の設立趣意書を紹介しよう。

  「個人は生まれながらにして自由かつ平等であり、その人格はひとしく尊厳不可譲のものであって如何なる権力を以ってしても破ることのできぬものである。

  この思想がフランス革命やアメリカ独立宣言いらい民主主義の真の基礎をなしてきたものであり、現在では1948年の世界人権宣言によって一層高らかにうたわれているものである。

  これが政治的には主権在民の根本理念で私たちの生命生存、幸福追求、言論、宗教、思想などの自由の意見活動として当然保障されなければならない。

(中略)

 戦後日本国憲法によって『侵すことのできない永久の権利』として基本的人権が明確に示されはしたものの、沖縄は不幸にして行政権がそのまま占領軍にひきつがれて憲法の適用は受けられなかった。

 そのために沖縄では人権を擁護する法律や機構が備わらず、人権思想は一向育たぬ実情にある。

(中略)

 昨年8月国際人権連盟議長兼米自由人権協会顧問のボールドウィン氏が来島して、われわれに基本的人権の尊重について大きな感銘を与え、沖縄における人権擁護の組織についても示唆を受けた。

 ここに沖縄の民間諸団体の話し合いとなり沖縄人権協会の設立を図った次第である。」

 設立発起人には、当時の琉球弁護士会人権擁護委員会委員長、琉大教授、地元二紙の編集局長、立法院議員、沖縄教職員会会長ら6人が名を連ねている。

 読んでお分りいただけたと思うが、沖縄人権協会設立趣意書の精神を貫いているのは、天賦人権説の思想である。「天賦人権説」とは、すべての人間は生まれながらにして自由かつ平等で、幸福を追求する権利を持つという思想のことだ。

 天賦人権説は、18世紀の啓蒙思想家であるジャン=ジャック・ルソーらによって主張され、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言によって具体化された。

 1948年12月10日、国際連合は世界人権宣言を採択した。この世界人権宣言は、すべての人間が生まれながらに基本的人権を持っていることを、初めて公式に認めた宣言だ。

 さて、日本国憲法は、国民主権、平和主義、基本的人権尊重を三大原理としている。

 日本国憲法第11条は「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」と謳っている。

 私は、日本国憲法第11条で謳う基本的人権は、天賦人権説に由来するものと、信じて疑わない。

 いつもの如く脇道にそれた。急いで本題に戻る。戦後沖縄人権史の個別事案に論及するのは、余りにも膨大で多岐に及び、困難だ。言えるのは、米軍政下で憲法の適用がなく、「復帰」後の現在でも「反憲法」下の沖縄では、天賦人権説に裏打ちされた憲法第11条の基本的人権の保障が実現されてない現実があったし現にあるということは、明白な事実だ。

 「戦後沖縄の人権史」編集委員の一人である中原俊明氏(琉大名誉教授)は、同書「あとがき」で、次のように書き印(しる)している。

 「米国統治下で『沖縄を民主主義のショーウィンドー』にするという、米為政者の口癖とは裏腹に、実質は『人権侵害のショーウィンドー』ではなかったか。さらに沖縄が苦境からの脱出をめざして、あれほど渇望した平和と人権と国民主権を柱とする日本国憲法の恩恵は今も充分に届いておらず、日米両政府の基地優先政策のもとで、沖縄の犠牲はいつ果てるともなく続いている。

 軍事基地がある限り、それ自体が沖縄の人権と平和にとって最大の『脅威』であることを、私たちは学んできた」――と。

 前掲書を一読すると、戦後沖縄の人権侵害の犯人は、膨大に存在する米軍基地と米軍であり、共犯者は、それを追認し、「無憲法」「反憲法」下に放置した日本政府であることが歴然とする。

 

(2013年9月2日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)


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