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浜矩子の世の中に“喝”

浜矩子の世の中に“喝”

第2回 ちょっと気になる蟹工船ブーム

 「蟹工船ブーム」が到来している。すでにお気づきの読者が多いだろう。新聞紙上でも取り上げられている。

 「蟹工船」は、言わずと知れた小林多喜二の作品である。プロレタリアート文学の代名詞と言ってもいい。その「蟹工船」が全国の書店で売れに売れている。わが新幹線乗降駅、品川駅の駅中書店でも、文庫本ベストセラーの第1位を飾っている。かの宮部みゆき作品などを抑えての1位だ。

 経済状況が悪いときに、この種の本が売れるのは、今に始まったことではない。だが、このブーム状態はちょっと驚異だ。

 「蟹工船」が積み上がっているその隣には、資格取得関連本や職場ストレス問題本や、一獲千金決定打本などがひしめき合っている。閉塞(へいそく)的現状にあえぎながら、サバイバルへの道を模索しながら、「蟹工船」の世界に浸る。グローバルジャングルを行く人々の必死の思いが、そのまま書店の平置き台に表われている。

 ここで気になることが1つある。「蟹工船」が売れている間はいい。そこを通り越して、さらに人々の痛みと鬱屈(うっくつ)が集積したとき、何が起こるか。それが少しばかり気がかりだ。

 格差論議や貧困問題が話題になるとき、しばしば出てくるのが、「国がもっとしっかり手を打つべきだ」という指摘だ。それが誤りだとは言わない。確かに、今こそ、弱者救済型の政策の出番だ。公共事業のばらまきしかしてこなかった日本の政治と政策が、本当の意味での公共サービスにまい進すべきときが来ている。それは間違いない。

 だが、「国」にあまり期待をかけると、「国」はすぐに調子に乗る。このままではいけないというので、管理強化に乗り出してくることが心配だ。民間のなすがままに任せておくと、蟹工船状態がますます深化する。だから、国家が介入して経済活動をコントロール致しましょう。こんな論法で、次第に統制の方向に振り子が振れていく。そんなことになっては、たまらない。

 思えば、ヒトラーもそういう手口で第三帝国の足場を築いた。ワイマール共和国の経済的混迷に乗じて、秩序と安泰の立て直しを掲げた。そうして、人心を手繰り寄せていったのである。

 一足飛びにそこまで考えるのは杞憂(きゆう)だろう。そうであってほしいが、それでも油断は禁物だ。人々の社会的怒りが蟹工船ブームを引き起こしたのは大いに結構だ。だが、結果的に変な寝た子を起こす展開につながらないといい。そう思いつつ、今日もまた品川駅中書店の店頭を見る。また1位だ!

(2008年7月23日 社会新報 「文化人コラム」より)

プロフィール

浜矩子(はま・のりこ)

浜矩子エコノミスト。一橋大学経済学部卒業。1975年、三菱総合研究所入社。2002年から同志社大学大学院教授。専門は国際経済のマクロ分析。メディアでの辛口コメントに定評。

著書に、『経済は地球をまわる』(筑摩書房、2001年)、『あらすじで読む日本経済』(PHP研究所、2005年、共著)他。


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