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安部政権劣化 理性より情緒に訴え改憲へ突進か

 安倍首相の発言の劣化が止まらない。ついこの間まで、「加計」限定の獣医学部新設は閣議決定された方針にのっとって設けた条件に照らして決定したのであり、手続きに何の瑕疵(かし)もないと言っていたのに、6月24日に突然、政府判断は「中途半端な妥協」だったとして「2校でも3校でもどんどん新設を認めていく」と言い出した。「今回の決定プロセスには一点の曇りもない」(特区諮問会議の竹中平蔵民間議員)、「文科省が(新設はだめだという)挙証責任を果たせなかった」(山本地方創生相)と政府決定を正当化する発言が、その後の26日に出されているのだが、どこに整合性があるのか。

 6・23「慰霊の日」で訪沖した際の首相発言もひどかった。辺野古埋め立てをめぐる昨年の一連の裁判の結果を政府にとって都合よく解釈することの誤りは、沖縄県から何度も指摘されているのに、県は政府に従えと、またやっている。

 ついでに言えば、「批判は当たらない」「何の問題もない」と、いつも取りつく島もない菅官房長官。そのかたくなな態度には、丸山真男が古典的論稿で描いた、「超国家主義」を地域で支えた「中間共同体のボス」はかくや、と思わせるところがある。官房長官は立派な中央の権力者だし、もう中間共同体の時代でもあるまいにと言われそうだが、永田町や霞が関というムラ社会(首相の取り巻き連中はその最たるものだろう)ににらみを効かせているところが、そういう印象を形成しているのだろう。

 説明なし、論理なし、情緒だけ。この本来ムラ社会でしか通用しないやり方を、憲法問題でも持ち出すところに、首相の特徴がある。5月3日掲載の読売新聞インタビューで首相は、憲法への自衛隊の根拠規定の明記について「『違憲かもしれないけれど、何かあれば命を張ってくれ』というのはあまりにも無責任だ」と語った。これには伏線があった。昨年9月の臨時国会冒頭の所信表明で首相が「彼ら(自衛官ら)に対し、今この場所から、心からの敬意を表そうではないか」と呼びかけると、自民党議員が総立ちの拍手で応えた場面は記憶に新しい。

 そのころ自衛隊が南スーダンでどんな状況に置かれていたのか、首相が知っていたのは間違いない。現行9条の規定力を失わせる「加憲」の効果を首相が認識しているのはより確実だ。情緒依存が計算ずくであることには警戒が必要だ。

(社会新報2017年7月5日号・主張より)


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