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主権者教育 中立性装う批判封じにならないか

 来年の参院選から18歳以上選挙権が実現するのをにらんで、文科省は「主権者教育」の副教材と教員用指導書を発表したのに続き、69年通知で原則禁止していた高校生の政治活動を校外に限って原則容認する新通知を出した。しかし、何が禁止される校内の政治活動なのかに関する判断基準が曖昧といううらみが残る。

 さらに問題なのは、これらを通じて強調されている教員の政治的中立だ。先の指導書では「政治的に対立する見解がある現実の課題を取り扱うことは、生徒が現実の政治について具体的なイメージを育むことに役に立つ」とし、現実の政治課題を取り上げることを奨励しているようにも読める。だが、これを取り扱う際の中立性とは一体何なのか。ある対立する見解について、(もし仮にそれが「一見極めて明白に違憲」であることをめぐる原則的問題だったとしても!)中身の具体的吟味の前にあらかじめ中立であることを自らに課したとき、語るべき何かが果たして残るのだろうか。

 教科書記述への圧力のあり方を見れば、結局、政府や多数派与党の考え方を基準として示すだけにするのが無難であり、政治的な議論を自ら禁ずることが中立だという方向に流れるのではないか。もしそれを避けようというなら、数の大小を問わず全ての代表的見解を紹介すると同時に、議論の中では特定の主張を禁止、排除しないことこそ、公正な態度だと言えるだろう。

 昨今、中立性の装いの下に、「憲法を守れ」や「自由と民主主義」という、いわば「当たり前」のテーマを避けようという風潮が広がっている。理由はもちろん、(おおっぴらには言わないが)その内容が政府・与党批判になるからだ。

 その点でこの間、気になる動きがある。政府などのBPO(放送倫理・番組向上機構)たたきだ。「不偏不党や真実、自律の原則を守るよう求められているのは政府などの権力」だとして、政府・自民党の放送介入を批判したBPOに対し、高市総務相は、政治的公平など放送法4条の番組編集4準則は法規範だとした上で、「番組準則に違反したか否かの最終判断は総務大臣が行なう」と言い放った。検閲宣言ではないか。

 改憲国民投票法は、有料意見広告に関して資金力による格差発生は放置する一方、民放は投票に関する放送について先の4準則に「留意するものとする」と定めている。これを修正で加えた狙いが見えてきた。

(社会新報2015年11月11日号・主張より)


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