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社民党の政策

【福島みずほ対談】内田樹さんと9条

【福島みずほ対談】 内田樹さんと9条

アメリカは日本を軍事的に無力化するために憲法9条を、
有効利用するために自衛隊を、押しつけたのです。

福島 内田さんのご本、読ませて頂いています。(ものの見方を)ひっくり返されるようなところや、そうだと思うところなど読み応えがあります。

 恋愛論やフェミニストについての指摘も面白くて、すべてのことをフェミニズムでは割り切れないというのは当たっていると思っていました。重要な考え方ではあるのですが、それだけで全部は語れないことも確かで、普段思っていることを見事に整理をしてくれる感じがありました。橋本治さんの対談集(筑摩書房『橋本治と内田樹』)も、言葉の使い方や考え方を面白く読みました。

 その中で憲法9条をめぐる話ですが『9条どうでしょう』(小田嶋隆さんらとの共著、毎日新聞社)というのは、4人の方が実にユニークな論述を展開しているのですが、特に内田さんが、アメリカが現在のような憲法9条と自衛隊の体制を戦略として作ったのであり、日本側は護憲派、改憲派と二分されているが、それはアメリカの戦略の中での分裂でしかなく、このまま憲法を変えずに進むのがいいと主張されているのを読み、本当にそのとおりだと思ったのです。

9条どうでしょう(毎日新聞社,内田樹・平川克美・小田嶋隆・町山智浩)
『9条どうでしょう』(毎日新聞社,内田樹・平川克美・小田嶋隆・町山智浩)

 日米安保条約が違憲か合憲か、自衛隊が違憲か合憲か、それが重要ではないとは言わないけれども、そういう議論よりも自民党が新憲法草案を作り9条を変えようとしている世界と、矛盾があるかもしれないけれども今の社会と、そのどちらを選択するのか国民は考えてほしいという単純な話ですね。

自衛隊と9条の共存はアメリカの国家戦略

内田樹(うちだたつる) 『9条』で書きたかったことは、日本では55年体制下で9条と自衛隊の間に矛盾があるというふうにずっとやってきたわけですが、これはフィクションであって実際には矛盾がないわけです。憲法9条は基本的に日本を軍事的に無力化するためにアメリカが押しつけた、ある種の制約であって、その後の自衛隊の創建は今度は限定的に日本を軍事的に有効利用するために作ったアメリカの押し付けです。どちらにしてもアメリカの国家戦略の中で、日本をどう利用するかという話なわけです。

 無力であり、かつ有益な属国として、日本を自分たちが利用していこう。ある時はこう言い、またある時はこう言うけれども、同盟国としても属国としても利用していくというアメリカの国家戦略の側から考えていったら、極めて整合的な、常に一貫してアメリカの国益を最優先する形できているわけです。

 では今の段階ではアメリカはどう考えているのかと言えば、基本的に9条などはどうでもよく、ある程度、日本が軍事力を持っていて核に対するアレルギーを無くしてもらったらありがたいと思っているけれども、軍事大国になることは絶対に許さないということです。

 限定的な猶予性の範囲で、完全に米軍コントロール下での軍事力であればよいということですから、これはアメリカの国務省の考えとしては非常に当たり前のことです。そうやって首尾一貫した国家戦略の中で自衛隊と9条があるにもかかわらず、われわれは過去60年間、この2つを矛盾している、相容れないものであると言ってきたわけです。

 頭が変になったのかというくらい、いろいろ考えたのですが、実はこれはすごく良くできたロジックではないかという気がしたのです。矛盾しているというふうにして結局、だらだらとやっているわけです。ある時は9条があるからこれ以上、アメリカの軍事戦略には加担できませんと言ってきた。朝鮮戦争にも、ベトナム戦争にも湾岸戦争にも、今度のイラク、アフガニスタンも何だかんだと言いながら9条を盾に取り、9条があって国内では左翼勢力とか社民党がわれわれの邪魔をするので協力できないのです、本当はもっとしたいのですがと言って、そういうエクスキューズとして9条を使っているわけです。

福島 そうですね。

内田 自民党にしても軍備に対しておカネを使いたいという思いはあるでしょうが、正直に言って田母神(俊雄・元航空幕僚長)さんの発言を見ていて、自衛隊のトップが相当に質が悪いことについては、おそらく無言の共通了解があると思うのです。軍事におカネをかけて、例えば日本の軍事産業で内需が拡大するということはありがたいけれども、今のような質の自衛隊の制服組の人たちが発言権や影響力を持ったり、政治に介入してきたりすることはノーサンキューということです。特に霞が関の官僚には、その思いがすごく強いのではないでしょうか。頭が悪いんじゃないかあいつら、というのはすごくあると思います。

 全体の見通しが狭くて国際感覚がないとか、外交戦略も全く持っていないことに関しては、日本の官僚たちも政治家たちも自衛隊の制服組に対する評価は低いと思います。この人たちがこれ以上、力を持つことについて、日本の政治家は誰も賛成していない。

 そういうふうに考えてみると、みんなそれぞれに今の状態でいいのではないかと感じていると思うのに、自民党が改憲しようと言っているのは何なのでしょうね。改憲しろと50年間くらいずっと言ってきているけれども、実現してこなかったわけですが。

福島 でも今、実現したいと思っていると思いますよ。

内田 その場合、どういうメリット、デメリットがあるのかをほとんど考えていない。法律条文と現実が整合していないと言うのですが、ずっと整合しないままでも、ある程度うまくやってきたわけです。これをわざわざ整合させたらどういうメリットがあるのか。

それは論理レベルでは整合するかもしれないですが、でもそれを整合させた瞬間に、日本はアメリカの属国だということを世界に向かってカミングアウトすることになるのです。

福島 自民党というのは2通りある不思議な人たちで、今は郵政民営化をめぐる顛末の中で議員でなくなった人が多いけれども「福島さん、憲法9条を守るために頑張れよ、僕は立場上言えないけど」と言いに来たりするのです。

内田 古い人、特に戦争体験のある人は、亡くなった後藤田(正晴元官房長官)さんなど、どちらかと言えば護憲派ですから。

福島 私も亡くなる前に後藤田さんに会いに行ってお話を伺いましたが、護憲派保守系おじさまは結構いらっしゃるわけです。

 右・左とか、保守・革新ということは意味がなくて、後藤田さんにしろ、話をしに行くと自衛隊が海外に行くのは100年早いよということを言ってくれるわけです。そういう意味では極めて現実的、リアルな平和論者です。

 もう一方で、明らかに国会の中には核武装論者が自民党にも民主党にもなぜかたくさんいるし、着々と予算を付けて国民投票法施行の告知もしています。そのトップは安倍(晋三)元首相だったと思いますが、その勢力は今も決して諦めていないのです。

内田 戦争でもするかという感じですね。ただし自分たちがするわけではない。悪いけど自分たちは全然する気がないし、自分たちの息子や娘も戦場にやる気がないのに、日本人は血を流すべきだというのは本当に考えていることが幻想的なのです。とにかく基本的に戦争は全部、海外で行なわれていて、そこで死んだりけがしたりするのは俺の知っている人間ではないというのが前提。とにかく自分の親族や知っている人間の中で戦死、死傷者が出ることは想像もしていないし、自分の国が外国の軍隊に侵略されたり略奪されたり、(日本人女性が)レイプされることは絶対に起こらないということを前提にして戦争をしましょうと言う。それは加害者としてしかコミットしないという前提です。

福島 その通りですね。

内田 これは本当にアメリカ的発想です。アメリカという国は建国以来、国内で戦争をしたことがないのです。アメリカの政治学の中の戦争というのは全部、圧倒的な武力をもった軍隊が外地に行って、そこで非戦闘員を含む人たちを殺傷したり、街を焼いたり文明を破壊したりして、それからいろいろ恨まれたりするが、それをどうマネージメントするかという話なのです。自分たちの国に外国の軍隊が攻め込んできているという想像をしたことはないのです。

内田樹さん写真 それはアメリカという国の成り立ち、250年の歴史から出てくる非常にゆがんだものの見方ですが、それを日本に持ってきて「戦争でもするかね」というのは、アメリカはできるかもしれないけれども、われわれはできません。戦争についての概念のいびつさは、実際に戦争を経験をした人であれば戦争は何かということを実感として分かっているけれども、今の40〜50代の政治家は実感としては全くない。(彼らが念頭に置くのは)完全にアメリカのバイアスのかかった政治学用語としての、外地で一方的に加害者としてかかわる戦争です。そこにコミットしていくのも退くのも、戦争の規模も厚みも強度も、すべて自分たちがコントロールできる、問題はその後、どうやってそこに民主社会を作るかというところだけ。戦闘行為自体に関しては完全にコントロールできるということを前提にした戦争理解を基に、改憲につなげてアメリカみたいに戦争をしようと考えている。

 彼らは日本が憲法を変えて9条2項を無くした時の、東アジア諸国のリアクションがどういうものか、全く考えていないと思います。中国が、韓国がどう出るのか。台湾やASEAN(東南アジア諸国連合)諸国などはどうなるのか。

 そこで日本の国際的な信用や、日本に対するある種の親近感が失われるデメリットと、戦争でもできるような法制上の整合性を取ることによって得られるメリット、どちらが重大かは明らかです。実際に戦争にコミットするかしないかという可能性を脇に置いておいても、憲法を弄ることで失う国際的な評価は比較にならないくらい重いものです。戦争ができる国になった、偉いと褒めてくれる国と、良くないと怒る国を比べたら圧倒的に嫌がる国のほうが多いに決まっている。威信は下がるに決まっているわけです。

福島 青年会議所で5月3日にパネルディスカッションをやった時、「戦争になって(戦地に)行くのはあなたたちではない。おカネのない貧しい地域の人たちが行く」と言ったのですが、それは分かってほしいですね。

内田 過激なナショナリズムというのは、過激すぎると本人に対して何も要求してこないのです。日々の生活実践としては、何一つ義務がない。中間的な立場ならば何か発言した場合、「ではあなたがそれをやって」と必ず言ったことの責任を取らなければならない。でも政治的なイデオロギーの世界はどんな過激なことを言っても、過激であればあるほど、それが実現不能であるほど、誰も「ではお前、それをやれ」とは要求しないわけです。大きなことは言えるが何の義務もないという。

 そうすると、どんどん過激になっていってしまうのはある種、必然的なものです。(インターネットのような)匿名で配信するような空間において全員が過激化するのは一種、水が低きに流れるようなものであって、これは基本的に無視するべきです。私はネット右翼のようなものは何の力もないと思っています。

 鈴木邦男(新右翼団体「一水会」最高顧問)さんは本に、自分の住所を書いて「用事があるやつはここに来い」と。真の右翼はこういうものだと思います。秘密警察が跳梁跋扈していて、何か言ったらすぐ捕まるという国だったら匿名での発言も政治行為ですが、今の日本で匿名で政治的な発言をするのは、それ自体、責任を取る気がないということなので、そんな人の発言は一顧だにしないというのが僕の立場です。

福島 なるほど。

内田 大きな政治的な変化、特に憲法や自衛隊を変えるという場合は、なぜ変えないといけないのかを明示すべきです。現状のままであったことによる利益はこれだけであり、変えるとこれだけの利益・不利益があると。

 きちっとリストを出して、トータルで考えてみると(変えることによる)プラスの方がちょっと多いというふうにリアルな提言であれば、耳を傾けてもいいのです。

 どっちにしても、ここでこういう利益が得られますというのは未来予測だから、何が起こるか分からない。特に外国の反応に関しては中国でも韓国でも9条を変えた場合に、どういうリアクションをするのか予測不能だと思います。僕はものすごく思いがけないところで、思いがけないリアクションがあると思います。

福島 それは政府ではなくて人々の心に、ということですよね。私たち自身にとっても自衛隊が違憲か合憲とか、とてつもなく重要な議論だったけれども、(今必要なのは)そういうことにエネルギーを割くよりも、自民党が05年に発表した新憲法草案が提示しているとんでもないことに関して、現状よりもとてもひどくなるということを訴えればいいのはないかと思っています。

 それに納得してくれるのであれば、今の自衛隊を徐々に軍備を拡張しないようにしていくとか、自衛隊内の人権オンブズマンのような活動をやるとか、変えていきたいと思っています。

新米右翼に対する違和感

内田 具体的なことですから神学論争ではないと思います。最初にも言いましたが憲法と自衛隊、この両者が全く矛盾していないと認めることはアメリカの属国であることを認めることであり、矛盾していることによってかろうじて日本人は心情的にアメリカから独立している。矛盾していないことを認めた瞬間に、われわれは属国民になるのです。

 憲法と自衛隊のどっちが日本のオリジナルでどっちがアメリカから来たのか。看板を付け替えながら、どちらにしても片方は日本のもので、片方はアメリカのものだというふうに、ここに対立を作り出して話をグジャグジャにし、それで60年間やっていたのです。

 これは日本人が、われわれはアメリカの属国ではないのだという、最後のぎりぎりのところで振り絞るようにして、日本の柱の中の1本はオリジナルだと、どちらか1つはわれわれの魂が作り上げたものであるというようなストーリーにしてある。両方ともアメリカ産ですというのは、いくら何でも悲しい。

福島 両方ともオリジナルだと言い切ることはできないのですか。

内田 違います。押し付けですから、どう考えてみても両方ともゼロからアメリカが作ったのです。

福島 私は、参議院の本会議場で「私は愛国者だ」と言ったことがあるのですが、愛国心を「右翼」だけに独占されていることもおかしい。確かに内田さんの分析は鋭くて、国内で対立を持ってきて、(根本的な矛盾には)見て見ぬふりというと変ですが、知恵のような感じですね。

内田 日本人の知恵だと思います。

福島 と思いつつ、国会にいると奇妙に感じるのは、つまり日本の政治は何かの法律が成立したり、在日米軍基地の条約ができるとそれをお土産のようにアメリカに報告しに行く。その姿は全く属国にしか見えないのです。

内田 軍事的には属国です。

福島 この気持ち悪さというのは何なのかと思いますね。右翼で反米愛国の人は少ないですが。。。

内田 難しいですね。

福島みずほ写真福島 自民党は「愛国心」が足りないですよ。「今の若者は何を考えているのだ」などと言っている人間がグアム移転協定などを結んで、その方がよほど「売国奴」だと思いますよ。私の方がよほど愛国者だと思っている。でも内田さんの本を読むと、この気持ち悪さはこれとして認めながら、その中でよりひどいことが起きないように頑張るのも一つの手だと、改めて覚悟を決めたのです。

内田 基本的に反米愛国というのは日本の場合、左翼のお家芸なのです。少なくとも60年安保闘争は間違いなく反米闘争であって、僕の考えでは果たされなかった本土決戦をもう一回やり直すということだったと思います。70年の安保闘争も同じで、67年の羽田(佐藤首相南ベトナム訪問阻止闘争)と68年の佐世保(米原子力空母「エンタープライズ」寄港阻止闘争)は、ペリー来航と一緒です。アメリカ人が日本の港に入ってくるのを攘夷で押し戻せという。日本の愛国主義は反米というのが基調なのです。(親米の)右翼に対する何となくの違和感というのは、そこに原因があるのかもしれません。反米ナショナリズムは、実は日本人の、大衆的な意味でのナショナリズムの原型なのです。

福島 アメリカ文化は好きだけれども、アメリカとの地位協定がメチャクチャで、(犯罪を犯しても)米兵が(本国へ)帰ってしまうとか。

内田 日本人の抱えている反米心情のようなものをリアルに分析すると、日本というのは(ペリー来航の)1853年からアメリカにやられ放しなのです。ずっとアメリカにいいようにされてきて、頑張って戦ったのが太平洋戦争だけだったという、すごく変な話になってしまうのです。結局、アメリカに伍していたいというのは、ご機嫌を取りたいということもあるけれども、同時にアメリカに鼻で笑われたり、顎で使われたりするのはたくさんだという非常に屈折した感情がある。

福島 なるほど、鋭いですね。

内田 日本のアメリカウォッチャーみたいな人たちは、反米感情と親米感情がぐちゃぐちゃなのです。日本にいる時はアメリカの利害を代表する感じで「アメリカではこうだ」「アメリカ人はこう言っている」「日本人はダメだ」ということを言って「虎の威を借る狐」でいばっているけれども、アメリカ人と話す時にはいくらしゃべっても相手に言い負かされてしまって、小国の悲しさでチクショーと悔し涙を流しながら帰ってくることがある。

 だからものすごく屈折しているのです。アメリカは素晴らしいと言っておきながら、内心ではアメリカ大嫌いです。

福島 竹中平蔵(元経済財政担当相)さんなどはビジネスマンだからか単純明快、新自由主義に見えますね。

内田 新自由主義で成功したいのは、最終的にアメリカを抜きたいからです。バブルの頃、アメリカの不動産をいっぱい買ったではないですか。アメリカの国土を2個買えると言って大威張りした。あれは絶対に反米感情が露出したのです。経済で勝ちたいというのも、アメリカと軍事的に対等になりたいというのも、風下にいることに対する悔しさなのです。

福島 確かに反米と親米というのは、ぐちゃぐちゃですね。

内田 親米派のフロントランナーのような人たちが、よく聞いてみると学生時代にアメリカに留学していて「ジャップ」と言われて参ったとか、結構そうしたトラウマを抱えているのです。

 そういう点では日本人は党派を超えてある種、宿命的に悲しいことになっているのです。本当にアメリカしかモデルがないし、実際に日本の政治も経済もアメリカが立ち行かなくなったら終わりだという一蓮托生なのです。だけどなぜこんな国になったのかとなると、長い歴史があって、何とかアメリカから独立しようとしたけれども負けてしまった。

福島 例えばヨーロッパにおける男女平等や働き方をモデルとすることはできないでしょうか。社会民主主義政党はヨーロッパに多いじゃないですか。アメリカは決して社民主義政権ではないし、2大政党制しかない人工的な国ですね。

 どうしてこんなにアメリカ偏重になるのか、官僚が留学するのがほとんどアメリカであることも一因なのでしょうか。昔に比べてヨーロッパに留学する人は少なくなった。映画も圧倒的にアメリカ映画が多いし。

内田 学術の世界でも、特に自然科学では完全にアメリカの独り勝ちですが、ほとんど(の研究者)はアメリカに留学しているし、社会科学でもだいたいアメリカの学位を取って来ようとする。日本の大学で文部科学省が英語で授業をやるとか、とてもおかしなことを言い出しているけれども、日本人は常にそうやって訳の分からない暴走を始めるのです。

 でも暴走してやっている当人たちも、これはどう考えても変だというのが分かっていて、誰かが「もうやめないか」と言うと、その瞬間に一斉にやめてしまう。僕は、日本人のアメリカ離れはきていると思います。また一回、(逆の方向に)振れると思います。

福島 アメリカ離れ、ですか。

内田 そして中国に近づいていく可能性があると思います。日中共同声明は72年ですが、今でも覚えていますが70年代の日本人の対中国意識は親近感でした。親中国感情はすごかったですよ。

 当時、日本に(中国からの)留学生がどれくらい来たか。うちの父親などは日中友好協会のメンバーでしたが、どんどんいろいろな人たちの保証人になっておカネを貸して、部屋を探してあげて仕事を探して。彼らが国に帰ってからも支援を続けていました。

福島 内田さんのお父さんは日中友好協会の人だったのですね。

内田 父親は戦時中、情報機関に務めていたので、ずいぶんひどいことをしたという罪悪感があったようです。中国に対して返すことのできないほどの借りがあると、言っていました。何をしても償えないと。

福島 そういうことを言うだけ、すごいじゃないですか。ほとんどの人は沈黙でしたから。

内田たつるさん写真2内田 父たちの世代の中国に対するある種の贖罪意識も、その時の親中国的な心情を支えていたのです。その後、今度はアメリカに傾いていくと中国との関係が悪くなるのです。小泉時代、日米関係が戦後最も良好だった時は、日中関係は最も悪かったわけです。

 今はアメリカに行き過ぎているので、この後、中国の方に寄っていくと思います。でもその場合は条件があって、今の胡錦濤(国家主席)のガバナンスが非常にきちっと機能してある程度、党内民主化が進み、官僚の腐敗も粛清されていって、かつ政党の多党化や民主化がある程度進行して中産階級が形成されるという方向がついたら、日本でも親中国派の人たちが出てきて「(今後の)モデルは中国だ」と言うようになるのではないでしょうか。

 中国が良くなってアメリカがおしまいになってきたら、日本のパートナーは中国だと言うやつが必ず出てきます。政治家でも評論家でも。だから今は流れが来ていないのです。そのうちに来るのではないですか。

福島 中国も社民主義の勉強をしようとしたり、中央組織の政党の勉強をしようとして福岡の社民党に見学に来たりしているのです。変えようとはしている。

 ところで月刊誌『新潮45』に「言葉なき政治の貧困」と書かれていて面白いと思ったのですが、政治や言葉について思っていらっしゃることは。

内田 政治家たちを見ていて、日本語が下手だと思います。

 例えば昔から自民党の政治家は、基本的にきちっとしたことを言わないのです。つまり政治的な、綱領的な一貫性ではなくて、野党の政治家からものを頼まれた、ここで譲ったら、ここは通してという感じの、非常に緩やかな中での人間的な信義。こいつは借りが一つできたと思ったら、何かの時に「頼むよ」と言われれば、それは返さざるを得ないという信義の関係ができましたという。自民党の政治家はそういうのに代表されるように、政治信条などで首尾一貫していないのです。ボロボロと色々なことを言うのですが、それは割とプリミティブ(原始的、素朴)な人間理解がベースにあって、その上にいわば添え物みたいな感じで政治的な信条が乗っかっている。自民党というのは綱領がないような政党ですから、それでずっとやってきたわけです。

 このグジャグジャな言語があって、一方で左翼の言語というのは戦後一貫してマルクス主義の語法が入っていたわけですから、非常にクリアカットなのです。きちっとしているけれども、大衆に対して全然説得力がない。結局、大衆が反応するのはマルクス主義的な部分ではなくて、その根底にある反米ナショナリズムです。反米愛国情念みたいなものに対してだけ、安保闘争などの時に反応してくる。

福島みずほ写真2 ベトナム戦争反対闘争なども、アメリカがアジアの人々を殺している、われわれはそれを座視していいのか、われわれも一緒に殴られよう、罰せられなきゃいけないという、政治的な有効性の全くない連帯責任な感じの情念は、こちらも根っこにあるのは非常にプリミティブな人間理解です。(右も左も)その上に乗っている言語が違うだけです。

 この中で、日本の政治的な言語が熟成するという瞬間はないのです。かろうじて55年体制下では綱領的な言語があったのでしょうが結局、それも無くなって、小沢(一郎・民主党代表代行)さんが二大政党にこだわったのは、もしかしたらそういう政治的な言語を作りたいという思いがあったのではないかという気がするのです。

 二大政党というのは共通の語法で語らないと、例えば同じ日本語を語っているにもかかわらず自民党と共産党というのは言語が通じないわけです。二大政党を作ってしまえば、少なくともそこでは、もしかするとコミュニケーションのプラットホームが共有されるのではないか、そうするとそこでダイアローグ(対話)が起きるのではないかというような、非常にむなしい期待を抱いて二大政党が論じられたのではないかという気がするのですが、根っこにあるのが非常にプリミティブな人間理解だということについての理解がないので僕は失敗すると思います。二大政党は結局、そこでもダイアローグができない。

 やはり言葉をきちんと使える人が政治家の中で必要です。どういう言葉かというと柔らかい、コロキアル(口語的)で手触りのいい、すっと魂に触れてくるような言葉の上に、きちっとある程度の整合性を持った綱領的な政治の言語がきれいに乗っている。そういうような言葉を政治家は語らねばならないのではないか。

福島 なるほど。確かにその国の気質や国民性と言葉は相関関係にある。オバマ大統領の言葉に私は感動するのですが、やはり常に建国の時に戻って「私がその証拠だ」という物語を作っていく。最近も新聞に「ハーレムの少年は言う、オバマが大統領になれたから僕だってなれるかもしれない。日本はそれに比べて2世、3世の総理と野党のトップだ」と書かれていましたが、面白いことにオバマ大統領がなぜああいうふうにアメリカ人の心をとらえ、大統領になれたのは、彼の存在が建国の物語と全部リンクしていくから。できすぎた話ですね。

内田 オバマが勝利するのは当たり前です。オバマの勝利は、アメリカの建国が正しかったということを、大統領の存在が証明したわけです。250年前の設計図の通りに作ったら、こんな良い国ができましたという話ですから。

福島 アメリカは平等な国だと。

内田 あれは絶対に、日本の総理大臣が就任演説でしゃべれないことです。設計図や建国理念などはないですから。

福島 大統領の就任演説の時に「私たちの祖先が250年前、薪で暖を取り…」とメイフラワー号を明示するような言葉が続く。翻って考えてみて、日本の歴史と、日本人の心情を咀嚼したうえで、日本でやる演説や言葉はどういうものだったら人の心を打つのでしょうか。

内田 きちっとしたものと言うと建国の理念としては、五カ条の御誓文です。そして日本国憲法前文しかない。これはここに還ると言われたら、おっしゃるとおりだという。

 アメリカの政治家の政治的な言葉をモデルにして、日本の政治家が言葉を作っても、それはどんなに理路整然としても全く人の心を打たないでしょうね。

福島 確かにオバマ大統領の演説は彼自身が普遍的なことや社会連帯を言っているから心を打つけれども、あれはアメリカだからこそであって、日本の政治家があれを言っても抽象的なことを言っていると人々は思うでしょうね。

内田 先人から贈り物があって、労苦が報われて自分たちも次の世代に送るために汗をかかないといけないというロジックは、アメリカの場合はすごく分かるけども、日本の場合は先人の労苦を受け継いだとは誰も言わないでしょう。みんなとにかく改革だから、今までは良くなかったからやめようという。

福島 ともかく心を通じさせた上に哲学や理念を乗せていくことでしょうか。

内田 最初は魂に触れることを語ることですね。それは仕方がないのです。日本の場合は魂に触れる言葉は、五感にフィットする上滑りな観念的な言語ではない。本当に人に伝わるような言葉がまずあって、それが言える人はいるのですが、その中に手触りのいい言語で、だけどそこにある程度の抽象性の高い議論を乗せていくのは、かなり技術がいるのです。

 しかも近年、日本人の文体が変わってきています。私たちでも語るように書くことがある種、義務になってきた。

 特にネット世代になって、ブログなどインターネット上にものを書くようになると、とにかく入口のところのドアを開けて最初の階段を低くしておかないといけない。ハードルを高くすると、今の人は絶対に読んでくれない。とにかく何とか引き入れる。楽しい話をしているから、ちょっとこっちにおいでという感じです。それからだんだん話に引きずり込んでいくという。柔らかいものを食わせながらだんだん固くしていくという、かなり気長な戦略が必要で、いきなり固いものをどんと出しても絶対に読んでくれない。でも柔らかいものばかり食って向こうの歯が弱いといって、リテラシーが低いからというので、分かるようなことだけを書いていたら何一つ共感的なことを書けない。

福島 柔らかい言葉を使いながら、出だしで人を引きずり込みながら、どうやっていくかですね。

内田 そうです。とにかく安倍晋三という人の「戦後レジームからの脱却」も、小泉純一郎という人の「郵政民営化をやれば景気が良くなる」も同じですが、何か自分の考えたことがうまく実現できない時に、それは例えば自分の頭が悪いとか、友だちがいないとか、いろいろな理由で実現できないのですが、そうではなくて自分の理想が実現できないのは、すべて単一の原因がある、すべてのところで同じ敵に出会っているという話にしたがるのです。

福島 あれは何なのでしょう。

内田 頭が悪いから、いろいろな理由がありますというのが耐えられないのです。本当はケースバイケースで、あることができないのはこのため、それができないのはこのためと、全部事情が違うのです。でも知的負荷がきつくなってくると、この問題はこれを解決する。この問題はそれを解決するという筋道が面倒くさくなって、すべて元凶は1つという話をして、これを直せば全部治るという話にしたがるのです。

 本当は、それではいけないのです。「それは大きな理由の一つだが」という節度を持つかどうかによって、ではほかにどんな理由があるのか、2番目の理由は、3番目はというふうに話は進んでいく。すべては、と言った瞬間に判断停止なのですね。

福島 すべてはと言ってはいけない。「これがあったことには政治の責任がある」と言えばいいと思います。

内田 政治の責任だけではなくメディアの責任もあるし、政府の責任もあるし、そして当事者、あなた方の責任もあるということです。

福島 それは少し考えてみよう。誰も政治の責任と言わないで天然現象のように言っていましたから。

内田 みんなが言ってない時に言う。みんなが言い出したら違うことを言う。

福島 それは必要かもしれない。

内田 結局、全体として言うべきことが言われていればいいわけで、非常に大事なことを言っていなかったら言えばいいし、みんなが言うようになったら違うことを言う。良く見て頂くと分かるのですが、私はさっき言った話と違うこと、逆のことを言っていることがあります。こうしろと言っておいて、そうなってしまうとこれはまずいというので、こうしろと元に戻すという。

 日本人は激しく付和雷同して一気にいってしまうことがあるので、みんながわーっとこっちに行っている時には慌てて、あっちに戻さないといけないことがあるのです。だから言うことが違うとよく批判されるのですが。

福島 それは世の中が複雑だということを言っているから。重点の置き方が違うし。

内田 福島さんも、ぜひ言うことをころころ変えて「違うじゃないか」と言われたら「世の中複雑です」と。

福島 時々民主党をたたいては持ち上げているけど(笑)。

内田 精密な言葉を使い相手の言い分に対して、おっしゃっているこの部分は正しい、それも正しいと、自分と対立している人の言い分の幾つかを認めることができる政治家が今、少ないですね。相手の言い分を認めている段階で、その人の判断力が正しいことが分かる。おっしゃっていることは正しい、でもここは違うと言えば、前段で正しいと認めた上での反論なので最後の1つが効いてくるのです。

 全部違っていると言った瞬間にその人の判断に対する信頼が失われる。信頼を勝ち取るためには対立者の言い分を認められるところは認めるという最初の譲歩が、実は非常に説得力を持たせる上では重要なのです。

福島 ご指摘頂いたことを参考に頑張ります。本日はありがとうございました。

(『月刊社民』09年9月号より)

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