フィデル・カストロ前キューバ国家評議会議長の逝去に当たって(談話)

声明・談話

2016年11月26日

フィデル・カストロ前キューバ国家評議会議長の逝去に当たって(談話)

社会民主党幹事長 又市征治

1.本日、キューバ革命を指導し、独自の社会主義を実現してきたフィデル・カストロ前キューバ国家評議会議長が逝去した。米国の政権転覆工作や軍事的圧力、経済封鎖を受けながらも、数々の危機を乗り越え、キューバの着実な発展を導いてきた卓越した指導者に対し、最大限の賛辞と心からの哀悼の意を表したい。

2.キューバの国技である野球に情熱を傾けてきたカストロ氏は、親日家としても知られている。2003年には、広島の平和記念公園で献花し、原爆資料館を訪れ、帰国後、「何百千万の人々があの地を訪れるべきだ。あそこで起こったことを人類が真に知るために」と世界に向けて広島を訪問するよう呼びかけ、原爆を投下したアメリカを批判するなど、核廃絶にも力を注いで来られた。

3.キューバそのものは、アメリカの箱庭と言われるように、アメリカからの経済封鎖で大変な困難な中で国づくりを進めてきた。そうした中、人々の健康と文化を重視した医療制度の改革に努め、乳児死亡率は南北アメリカで最良、平均寿命は先進国並み、ファミリードクターの完備、高度先端医療技術の開発、医療技術による他国支援など、世界で最高水準と言われる医療制度を実現した。社会主義キューバの医療や教育は無料であり、日本としても学ぶべきことは多い。

4.カストロ氏は、第三世界の独立、独裁体制克服闘争、アンゴラ独立への貢献、その後の反アパルトヘイト運動になどにも希望を与え、ベネズエラ、ブラジル、ボリビアなど南アメリカの左派勢力にも大きな影響を及ぼした。困難な状況はこれからも続くが、反新自由主義、反グローバリズムの自主勢力の躍進を期待したい。

5.キューバと社会民主党とは、旧日本社会党時代から、長年にわたり友好関係を続けてきた。旧社会党は、キューバ革命後、アメリカの経済封鎖圧力が高まる時代、初の海外訪問先として日本を訪れたチェ・ゲバラ氏とも親交を結び、また宇都宮徳馬氏らと協力し、国交維持、貿易継続の方針を堅持させた。特に、医薬品、医療機器の輸出は、重要な役割を果たした。これらの努力が、現在のキューバとの友好関係の礎であることを忘れてはならない。

6.1995年12月、カストロ氏が初来日されたが、「日本で必ず会うべき人だと口々に紹介されたので、まず最初にやってきました」と、土井たか子衆議院議長(当時)を訪ねられた。「本物のカストロさんですか? 背広姿ではわかりません」という土井さんに、「あなたに会うためにベトナムで新調しました」と応じられたというエピソードが伝わっている。その後、社民党は、訪日キューバ青年国会議員団等との交流を続ける一方で、人権問題等についても忌憚なく意見交換を続けてきた。

7.私自身もCUBAPON(日本キューバ連帯委員会)の一員として、経済封鎖下のキューバへの医療器具支援や交流活動に取り組んできた。私が2010年に訪問した当時は、すでに前議長は引退されていたが、2年連続で巨大なハリケーンに襲われて、多くの建物が破壊されるという厳しい状況にあった。

8.キューバ東部のヒバラには、1960年にテロで倒れた浅沼稲次郎社会党委員長追悼のために浅沼委員長の名前を冠した紡績工場があり、また多くの日本人入植者が農業を営んでいる等、キューバは親日的な国民性を持っている。親日家のカストロ前議長の目指されていた、日本・キューバの友好・連帯の深化と今後のキューバの発展を祈念する。

以上