社会新報2003年1月22日号

日朝問題に関するQ&A

 Q1 なぜ、日本社会党の時代から朝鮮労働党と交流関係を持ってきたのでしょうか。

〔分断固定化に抗する〕
 社会党時代の朝鮮労働党との交流は、国交のない国との小さな窓を開け続ける役割を果たしてきました。当時の社会党は、朝鮮半島の軍事的緊張を緩和させ、平和的な統一を支持するという立場を取ってきました。そのために北東アジアの緊張緩和、平和の醸成のために北朝鮮をたびたび訪問し、国交正常化へ向けた地ならしの役割を担ってきたのです。
 特に、今だに朝鮮半島が南北の軍事境界線で分断され、互いに銃口を向け合っている状態が続いていること、三十八度線をはさんで北朝鮮とアメリカが今だに休戦状態にあるという異常な状況を改善するための努力は、当時の社会党が中心となって行なってきたと言っても過言ではありません。
 社会党が最初に訪朝団を派遣したのは一九六三年です。戦後、米ソ対立の中で東西冷戦構造が作られ、朝鮮半島においても南北の分断が固定化されようとしていました。米国との同盟関係を重視する日本政府は、大韓民国(韓国)とのみ国交正常化を図ろうとしていました。
 社会党は、植民地支配や強制連行などについての戦後処理は、朝鮮半島全域に及ぶことなどを踏まえ、日本と北朝鮮との早期の国交正常化をめざして野党外交として朝鮮労働党との交流を開始したのです。

 Q2 北朝鮮との交流を行なっていたのは社会党、社民党だけだったのでしょうか。

〔超党派の交流活動も〕
 社会党を機軸とした朝鮮労働党との交流は一九八〇年代の末まで続きました。その間、超党派の日朝友好促進議員連盟が一九七一年に結成され、翌年の一九七二年に自民党の久野忠治議員を団長として社会党三人、公明党一人、民社党二人、共産党二人、二院クラブ一人の計十人から成る代表団を派遣しています。その後、困難な状況の中で同議員連盟は一九八三年までの間に第四次までの代表団を派遣し、自民党・公明党・民社党・共産党・新自由クラブなど、社会党を含めた主要な政党の議員の参加を得た超党派の活動を続けていました(年表参照)。
 冷戦構造の崩壊とともに、こうした努力の積み上げを基に、ようやく日朝関係にも変化が起こりました。九〇年九月には金丸・田辺訪朝団が総理親書を持って金日成主席と会談し、自民党、社会党、朝鮮労働党の三党共同声明をもって日朝国交正常化交渉の開始を確認しました。九一年には初めて日朝の政府間による正常化交渉が開始され、その後も断続的な交渉が続いてきたのです。今回の日朝首脳会談もこうした地道な努力があったからこそと言えます。

 Q3 一九九九年に全政党が参加した「村山訪朝団」は、どのような構成でしたか。

〔全政党参加の代表団〕
 一九九九年末の全政党の国会議員による訪朝団は、村山元総理を団長とするものでした。自民党(野中広務幹事長代理、原田義昭外交部会長、須藤良太郎参議院議員)・社民党(村山富市元首相、深田肇衆議院議員、大脇雅子参議院議員)各三人、民主党(伊藤英成衆議院議員、大畠章宏衆議院議員)・公明党(久保哲司衆議院議員、福本潤一参議院議員)・自由党(野田毅衆議院議員、青木宏之衆議院議員)・共産党(穀田恵二衆議院議員、緒方靖夫参議院議員)各二人、改革クラブ(小沢辰男衆議院議員)・無所属(園田博之衆議院議員)各一人の国会議員十六人の与野党すべてから成る日本国政党代表訪朝団でした。文字通り超党派の全政党参加の枠組みでした。
 植民地支配の清算は、今なお未解決の重要なテーマです。九五年八月十五日に村山内閣が「侵略と植民地支配によってアジアの諸国に損害と苦痛を与えたことに対して反省し、お詫びする」と戦後五十年の談話を発表したことは、日本の基本的な考え方を内外に明らかにする意味で大変重要な意義がありました。
 その後の歴代政府も、どのような連立政権の組み合わせであっても、この談話を基礎に据えて近隣諸国との外交折衝に臨んでいます。今回の小泉内閣の日朝平壌宣言も村山談話を基礎にして「日本は、過去の植民地支配によって朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」とした上で、交渉を進めていくことが明らかにされています。村山訪朝団も、村山談話で明らかにされた歴史認識を基に日朝国交正常化交渉の早期再開をめざしたものでした。

 Q4 かつての社会党は北朝鮮に厳しい要求や交渉をしたことはなかったのですか。

〔だ捕事件解決で役割〕
 元社会党副委員長だった山本政弘さんが一九七五年当時、社会党機関紙局長として訪朝しました。ちょうどその時に「松生丸事件」が発生して深刻な事態となり、北朝鮮にだ捕された漁船の乗組員帰還をめぐって厳しいやりとりをしました。「松生丸事件」とは、北朝鮮の軍に銃撃され、乗組員九人のうち二人が死亡し、二人が負傷した事件です。山本さんは、北朝鮮当局者に対して乗組員を返すように徹底的な交渉を行ないましたが、当初は強い拒否にあいました。会談は決裂して山本さんらは日本に引き揚げるつもりでした。荷物をまとめて帰ろうとする直前に、一転して「遺体と生存者全員の帰国」を約束させて一人当たり二万ドルの弔慰金を出させました。
 漁船のだ捕など明らかに存在を確認できた事件について、真剣な交渉をして事件の解決に結びつけた事例は、その後の一九八四年の第三十六八千代丸、だ捕された後に七年間にわたって刑務所に収容されていた漁船員を、交渉の末に帰国させた第十八富士山丸に至るまであります。
 第十八富士山丸の事件では、北朝鮮からの出航時に船内に潜り込んでいた密航者を日本の入管に引き渡したところ、入管から船長が北朝鮮に必ず次の航海で連れて帰るように誓約書を要求されました。ところが、再び乗船させる直前になって「事情が変わって乗せられない」という連絡を入管から受け、そのまま北朝鮮に向けて航海したところ、スパイ容疑で逮捕されてしまうという入管当局、国家の責任が絡む事件なのです。
 国内では、第十八富士山丸乗組員の救援運動が起こり、社会党も熱心に取り組むとともに、党訪朝団は、たびたび乗組員の引き渡しを働きかけました。八七年には当時の土井たか子委員長が金日成主席との会談で「乗組員の釈放・帰還」を強く切り出し「政府間交渉に委ねる」との返答を得ています。しかし、解決は長引き、九〇年の金丸・田辺訪朝団でようやく解放が決まり、その後の土井たか子・社会党委員長と小沢一郎・自民党幹事長が乗るチャーター機で帰国を果たすことができたのです。
 野党外交を担ってきた当時の社会党は、北朝鮮に捕らわれている漁民の帰国のための交渉などに、しっかりとその役割を果たし、再発防止のための漁業協定の締結に努めてきました。ただ、交流を重視するあまり、軍事優先の先軍政治や専制的な政治体制に明確な評価を下すことはありませんでした。その点は反省しています。お互いに率直にものを言い合うことが重要であり、そのことによって初めて表面的ではない信頼関係ができるのです。

 Q5 韓国との関係はどうだったのでしょうか。

〔韓国民主勢力と連帯〕
 当時の社会党は、朝鮮労働党とのみ交流してきたわけではありません。一九六五年に日韓基本条約が締結されましたが、社会党は朝鮮半島の分断を固定化するものとして、これに反対しました。韓国においても「植民地支配の責任があいまいだ」として激しい反対運動が展開されました。七〇年代後半から八〇年代にかけて、軍事独裁政権下の韓国内において激しい民主化闘争が起こりました。八〇年の光州事件をはじめ、民主化闘争に参加した多くの人々が逮捕され、投獄されました。
 これに先立つ七三年には、金大中氏が日本に滞在中に何者かによって韓国に連れ去られるという事件が起こりました。警視庁の捜査で金東雲一等書記官の指紋が現場から検出されるなど韓国KCIAの関与が濃厚で、わが国に対する重大な主権侵害であるにもかかわらず、日本政府は韓国との間においてあいまいな政治決着を図りました。
 ついに金大中氏は、光州事件の首謀者として軍法会議で死刑を宣告されました。社会党は「金大中氏を殺すな」という日本国内の一大運動に積極的に参加し、韓国民主勢力と連帯して行動を起こしました。国際世論の監視が金大中氏の生命を守り抜いたのです。間もなくその任期を終える金大中大統領と私たちとの間には、死刑判決に沈黙し、黙認してきた保守勢力にはない信頼の絆があります。土井党首は、金大統領と会談し「北東アジアの非核地帯構想」にも共に取り組む決意を示しています。

 Q6 拉致問題にどのように取り組んできましたか。

〔批判を重く受け止め〕
 北朝鮮による拉致事件が引き起こされたのは一九七〇年代後半から八〇年代初頭と言われています。当時は、北朝鮮による犯行という確証がなく、政府や警察関係、多くのマスコミも行方不明事件、拉致疑惑という取り扱いでした。社会党の認識もその域を超えるものではありませんでした。
 拉致問題が日朝間の話し合いのテーブルに載ったのは一九九七年の与党訪朝団以降です。社民党も参加した訪朝団の追及に対して朝鮮労働党は「拉致などありえない。行方不明者ならありうるので行方不明者としてなら調査する」と主張しました。
 九九年の村山訪朝団においても、この問題をめぐって激しいやりとりが行なわれましたが、同様の対応でした。この時には「日朝両国が関心を持っている人道問題解決の重要性について合意し、それぞれの政府の協力の下で、赤十字に対してお互い協力していくよう勧告することにした」との文面による共同発表となります。
 国交のない国とのこととはいえ、拉致された方々やご家族のご苦労と心痛を思えば、追及や取り組みが不十分ではなかったか、との批判は大変重く受け止めなければなりません。
 社民党が「拉致の事実はない」とする朝鮮労働党の主張をうのみにしてきたとの批判がありますが、二〇〇二年四月、「日本人拉致疑惑の早期解決を求める国会決議」を国会が全会一致で採択したことも付け加えておきます。社民党が「拉致事件」を否定し続けてきたなどという悪宣伝は、全政党が参加して進められてきたこの間の歩みを忘却し、隠ぺいすることに他なりません。

 Q7 拉致事件と社民党について批判的な報道があるようですが。

〔事実に基づき毅然と〕
 この間、社民党に対して悪意を持った報道、評論が続きました。例えば一九八八年の秋、当時の社会党委員長として全国を飛び回る土井たか子地元事務所を、拉致された有本恵子さんの母である有本嘉代子さんが訪問されました。当時の地元秘書が有本さんのご相談に応じましたが、テレビ朝日が報道しているような「土井事務所から手紙のコピーが朝鮮総連に渡っていた」という事実は一切ありません。渡されていないコピーを他に渡すというのは不可能です。
 この問題で土井党首は「厳重に抗議して最近、ようやく訂正に応じました。よく調べないで報道するのは言論の暴力です。当時、直接、私がお聞きしても何ができたか分かりません。が、努力できることは努力すべきでした。結果としてつらい思いをさせたことは、本当に申し訳ないと思っています」(二〇〇二年十一月二十九日、土井党首の『朝日新聞』インタビュー)と語っています。
 十一月二十一日のテレビ朝日の朝の番組で「事実ではなかった」との訂正がなされましたが、こうした報道を利用して「社民党を消してしまおう」という勢力からの攻撃の意図は悪質です。村山元総理や濱田健一元政審会長も拉致被害者の家族の方々と面会し、誠実に対応してきました。事実をねじ曲げて社民党を攻撃し、偏狭なナショナリズムをあおるような報道や風潮には毅然として対応しなければなりません。

 Q8 核開発問題についてどう考えますか。

〔核開発の断念求める〕
 昨年十月十七日、米朝高官協議の場で北朝鮮が核開発計画を進めていることが明らかになったと報道されました。計画の放棄を求めるKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)は、北朝鮮の核施設を凍結する「米朝枠組み合意」に基づいた重油供給を十二月分から停止しましたが、北朝鮮側がこれに反発して核施設の稼働再開を宣言、さらにNPT(核拡散防止条約)からの脱退を表明するなど、事態は緊迫の度合いを増しています。
 北朝鮮による核開発は、NPTや一九九二年に南北が合意した「朝鮮半島非核化宣言」に違反し、朝鮮半島の核問題について「関連するすべての国際的合意を順守する」とした「日朝平壌宣言」の内容にも背くものです。
 また、八一年には社会党と朝鮮労働党の両党で「東北アジアにおける非核・平和地帯創設に関する共同宣言」を発表しています。「宣言」では「東北アジア地域に展開されているすべての核兵器を撤去・破棄しなければならない。この地域の核兵器と生物化学兵器の開発・実験・生産・所有・運搬・貯蔵・持ち込みおよび使用を一切禁止しなければならない」としています。私たちが北朝鮮の核開発問題、核施設再稼働問題を見逃すことができないのは、こうした歴史的な経過も踏まえてのことです。
 北東アジア地域の緊張を激化させかねない核開発に対し、社民党は、あらゆる核に反対する立場から北朝鮮が計画を直ちに断念するよう求めています。また、NPT脱退などの強硬な姿勢を撤回するべきだと国際世論に働きかけます。同時に、米国や日本、韓国、さらに中国やロシアなどの関係国が対話による平和的手段によって問題の解決を図ることを強く主張していきます。

 Q9 北東アジア地域の平和と安定に向けて、どのように取り組みますか。

〔「平和構想」を土台に〕
 二〇〇一年五月、土井党首は、北東アジアの平和と安定に向けた「二十一世紀の平和構想」を発表しました。二〇〇〇年六月、朝鮮半島における歴史的な南北首脳会談が行なわれ、アジアに残された最後の冷戦構造がようやく崩壊の兆しを見せはじめました。 社民党は、両首脳の英断を重く受け止め、北東アジアの平和と安定のためには、冷戦構造の遺物である二国間同盟体制を脱却し、多国間の対話と協調による新たな平和の枠組みと非核地帯の設置こそ重要と考えたのです。
 具体的には日本、韓国、北朝鮮、中国、モンゴル、ロシア、アメリカ、カナダの八ヵ国による「北東アジア総合安全保障機構」の創設と、核保有国も同意する日本、韓国、北朝鮮、モンゴルによる先行的「北東アジア非核地帯」の設置を柱とするものです。
 土井党首は、この構想を持って韓国、モンゴル、中国を訪問し、各国首脳との間で「平和構想」に対する支持と協力を取り付けました。来日したロシアの外相とも会談、賛同を得ました。社民党は今後とも、この「平和構想」を土台に北東アジアの平和と安定に全力を挙げます。

Q10  在日朝鮮人・韓国人の権利についてどう考えますか。

〔多文化共生社会こそ〕
 拉致事件が明らかになってから在日コリアンの人たちへの嫌がらせや暴行などが再び激しくなり、休校措置を取らざるを得なかった民族学校も少なくありませんでした。こうした事態に対し、強い懸念を覚えずにはいられません。
 現在、朝鮮籍あるいは韓国籍を持つ方々が六十万人以上、日本で暮らしています。そこには三十六年間にわたる日本の植民地支配や強制連行の歴史が厳然と横たわっています。にもかかわらず在日の方々は「国籍条項」によって戦後の長い間、福祉手当などの給付が行なわれてきませんでした。現在でも高齢者の方への年金給付は行なわれていないなど、社会のさまざまな分野で差別や権利の抑制が続いています。
 社民党は、日本で暮らすあらゆる人たちが安心して生きていける多文化共生社会を実現するため、定住外国人の地方参政権の実現など在日コリアン、在日外国人の権利の向上のために努力いたします。