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西村一広の「挑戦し続ける堀江謙一の単独航海」


第69回 世間に嘲笑された30年前の失敗

 「冒険」という行為になかなか理解を示さない日本という国と国民の中で、堀江謙一の太平洋横断航海は、少なくともその直後に日本で高く評価されたわけではなかったことを先週号で書いた。その後、その『太平洋ひとりぼっち』の航海がアメリカで大ニューッスになったことを知った日本大マスコミが慌てて善意的な評価に変えたものの、それはあくまでも『何かヨットですごいことをしたらしい有名人』としてであり、日本を代表する航海者、真の海の英雄として堀江が日本と日本人に迎え入れられたわけではなかった。日本という土壌に、冒険行為を受け入れる文化的受け皿がなかったということができるだろう。

 その航海の後、世間はあっという間に堀江謙一という人物の存在を忘れ去ったが、その間に、堀江は約十年の年月をかけて次なる航海の計画を企て、準備した。その計画が、当時世界の誰もが成し遂げてなかった東回り単独無寄港世界一周航海だった。その記録は、堀江が苦しい資金繰りなどの準備を進めている間に英国人によって達成されてしまうが、日本人はまだ誰も挑戦しようとしたことのない航海だった。

 一九七二年秋、堀江謙一は、単独無寄港で世界一周航海に〈マーメイド二世〉号で出航した。しかしその航海は、出航後わずか数日間で失敗する。過去のヨットにない、新しい構造で設計されたマスト(帆柱)が、強度不足で折れてしまったのだ。

 それを知ったマスコミは、十年前の最初の姿勢に再び態度を変えた。堀江がやっていることは社会的に意味がない、とする立場だ。堀江の行為を税金の無駄遣いだと断じる新聞もあれば、前の太平洋横断航海も実際にやったかどうか怪しいとまで言い出す知識人もいた。しかし冷静に考えれば、堀江の失敗は堀江自身に降りかかるものであって、他の誰にも迷惑をかけてはいないのだ。だが、それらの論調に追従して、一般の国民までもが堀江を痛罵したり嘲笑した。社会生活の輪から独立し、自らの責任で自らの人生の夢を実現させようとする行為は、日本社会では許されざるもののようだった。

 しかし、この失敗で堀江は逆に奮起した。航海での挫折は初めて経験することだったが、「あの失敗があったからこそ、今回、三十年越しに東回り単独無寄港世界一周航海を成功させた現在の自分がある」、と堀江は回顧する。


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